「かまくら」の語源を教えてください。

 

 

文献や先人たちの調査・研究資料などから次の説が考えられます。

◎「竈(かまど)」を語源とする説
「かまくら」の原型 はかまど式である。しかもこれは単に形態ばかりではなく、 この中で正月用の飾りものなどを焼いたという事実からして「竈」を語源とする説である。

◎「鎌倉大明神」を語源とする説
左義長とい われるこの行事に「鎌倉大明神」は付帯しており、その神名「鎌倉」を語源とした説である。

◎「神座(かみくら)」を語源とする説
雪むろは、神の御座所(おまわしどころ)である。即ち「神座」であることから、「かまくら」 と変化したという説である。

 

 

   「左義長」とは、どのような行事なのですか?

 

 

正月十五日に行われる悪魔を払う火祭り。宮中や公家の正月行事であり、民間では、松飾り(正月飾り)などを焼く「どんど」にあたるもの。

 

 

   「かまくら」には、「雪穴式」と「竈式」あるとのことですが、ちがいを教えてください。

 

 

「竈式」のかまくら

「かまくら」にまつわる文献で「ふでのまにまに:久保田迦麻久良祭(くぼたかまくらまつり)」1811年(文化8年) 菅江真澄が書いたものであるが、冒頭に「正月十四日の夜、雪をかい集め高くつみかさね、板戸なんどにおしあてて囲みを作し、三間四方、或いは四間四方ぱかりの雪の屏風を引わたしたらんが如に云々」とあるように、四角い「かま くら」の作り方を描写している。
昭和20年前に、学校や警察からきびしく注意され、現在のような「かまくら」を禁止されていた当時は全くこの作り方であった。
このことから、当時の主流は、「竈式」だったことがわかる。(火祭りも行われていたため)

「雪穴式」のかまくら

戦後は雪穴式のかまくらが台頭し、昭和29年第1回「雪まつり」が開かれるようになると、「かまくら」の規格の統一に動きだし、昭和34年「モデルかまくら」が創られると基準化が進んだ。 作り方は、横手市観光協会が指導している。(「かまくら製造法」に記載)

 

 

   「日本美の再発見 : 著者 ブルーノ・タウト」 とありますが、プロフィールを教えてください。

 

 

ブルーノ・タウト Bruno Taut
(1880‐1938)


◇20世紀を代表するドイツの建築家◇


 ドイツ近代を代表する偉大なる建築家。
 
ベルリンを中心に、新しい素材を駆使した前衛的な作品を数多く発表。
 その先駆的な発想の高い芸術性により20世紀の最も興味深い先覚者の一人である。
 
まさに建築界における"知の巨人"ともいえるタウトは、建築の完全なる美を追い求め、ナチス政権から亡命し、日本文化に巡り会うこととなる。

ブルーノ・タウトが横手町の「かまくら」 を訪れたのは昭和十一年。このときの様子を「日本美の再発見:著者ブルーノ・タウト」で紹介している。 右の絵は、タウトが書いた「かまくら」のイラスト。
かまくら」を観たタウトは、
「実にすばらしい観物だ!誰でもこの子供達を愛せずにはいられないだろう。いずれにせよ、この情景を思い見るには、読者は、ありたけの想像力をはたらかせねぱならない。私たちが、とあるカマクラを覗き見したら子供たちは世にも真じめな物腰で甘酒を一杯すすめてくれるのである。こんな時には、大人はこの子達に一銭与えることになっている。ここにも美しい日本がある。それは−およそあらゆる美しいものと同じく‐とうてい筆紙に尽すことはできない」
(『日本美の再発見』)と感嘆。

 

 

    「ミニかまくら」って、何ですか?

 

 

広場や、校庭や、川原や、広い道路端など、その数は数千以上。小さな一つ一つの「かまくら」が命あるように燈明でほのかな光を影ずる光景は、実に素晴らしい雪国の情緒である。主に中学生以下の子供たちが奉仕でしているこ とも嬉しいことである。(トップページに写真を掲載)

 

 

   横手市へ遊びに行きたいので、アクセス方法を教えてください。

 

 

横手市へのアクセス方法は、次の通りです。

東北新幹線
北上線
秋田新幹線
奥羽本線
東京−北上
北上−横手
東京−大曲
大曲−横手
3時間
1時間30分
3時間15分
20分
羽田−秋田空港  名古屋−秋田空港
札幌−秋田空港  大阪−秋田空港
※秋田空港から車で1時間

東北自動車道
秋田自動車道
国道13号線
秋田自動車道

東 京 
北 上 
福 島 
横 手 
− 北 上
− 横 手
− 横 手
− 秋 田