なまはげU(動画付き) 美しき水の郷あきたTOP

 芭蕉翁は「奥の細道」で「松島は笑うが如く、象潟はうらむが如し」と言ったが、男鹿はまさに゛怒るが如し゛である。西海岸一帯にそそり立つ断崖、絶壁、洞くつ、荒海に突き出した島々、半年間は雪の中で暮らす厳しい自然。この荒々しい風土から生まれたせいであろうか。正月の行事の中でもナマハゲの風習は、怪奇でドラマチックでもある。雷鳴とともに海がシケルとハタハタとともに登場するのが゛怒るが如し゛の形相をしたナマハゲである。

なまはげとは、秋田が誇る雪国の民俗行事である。行事は男鹿半島において、12月31日の夜か1月15日の夜に行われている。村の若者らが仮面仮装のスタイルで、鬼のようななまはげ面を被り、藁(わら)製のケラミノやケダシ、脛布(はばき)を着けて、素足に藁沓(わらぐつ)を履き、手に木製の出刃包丁を携えてこつぜんとやって来る。
このなまはげ行事は、年の折目としての年越の晩に神が訪れ人々に祝福を与えるという形をとっている。この場合のなまはげ自体は、年に一度やって来る一種の歳神(年神)なのである。
なまはげの衣装

出刃包丁・・・これは木製に銀紙貼りで、ナモミ・ナガメ(火型・火斑)を剥ぎ取る道具である。昔はトゲのあるタラの木を使った。
・・・元来は木の皮やザルで作ったが、今は木彫りやプラスチック製も使われる。
ケラミノ・・・蓑笠は神に扮する象徴的なもの。ケダシ(ケンデ)はケラミノの代用である。
ハバキ・・・来訪神になるためのワラ製ハバキで足も包んだ。
ワラグツ・・・来訪神のスタイルとしてケラミノにぴったりする履物。
「泣ぐ子はいねがー、怠け者はいねがー」「親の言うこど聞がねガキはいながー、こごの初嫁(初婿)朝起ぎするがー、すねがー、ウォーウォー」
なまはげは家に入る時、一勢にウォーウォーと奇声をあげてやってくる。昔は土足のまま廊下から座敷へ直接入ってきた。その際に戸を激しく叩いたり、畳を強く踏んだりする。ケダシをガサガサと音をたてて手にした出刃包丁を振り回して歩き回った。
家の主人はひたすら謝り、機嫌をとり、丁重にもてなす。主人はなまはげの唱え文句に対しひたすら否定する。そうするとなまはげは一年中神社の大木のウド(穴)の中にいるから、もしそのような子供や初嫁がいたら手を三回叩いてくれ、そうするとすぐやって来ると答える。来年もまた来るという言葉を残してなまはげは去っていく。
この奇妙な風習にまつわる伝説も数多い。現在定説となっているのが「武帝説」である。その昔、漢の武帝が五匹の鬼を従えて男鹿に渡り、正月15日の一日だけ鬼たちに自由を与えた。喜んだ鬼たちは初めての人間社会への外出とあって畑を荒らし、娘をさらい、村人たちを散々に苦しめる乱暴を繰り返した。これに困った村人たちは、鬼たちにかけを申し入れた。「海辺から本山の頂上まで、一晩で、しかも一番鶏が鳴く前に、千段の石段を築くことが出来たら、娘を毎年一人ずつ差し出そう」。
一方、鬼共は日の暮れるのを待って石段造りに取りかかった。寒風山から大岩石を抱えて門前まで一飛び。あれよあれよ見る間に石段が築かれていく。これでは一番鶏が鳴く前に完成してしまう。慌てた村人は鶏の鳴き声の上手な人に頼んで、千段まであと一段というところで、「コケコッコー」とやってもらった。鬼共ははね上がって驚き、逃げていったという。

浜から続く石段。門前にはこの石段を登りつめた山腹に、五つの社が整然と並び建っている。ここに五匹の鬼が祭られ五社堂には、今もなおこの五匹の鬼共を祭っている。
素行の荒い五匹の鬼を、いわばだまし討ちにして村を追い払ったことから、その鬼たちの祟りを恐れて、年に一度若者たちが鬼に扮して村を訪れ、それがために村人は充分にもてなし山に帰ってもらう、という行事がなまはげの始まりとも伝えられている。
なまはげの語源については、かなり真実性のある解釈がなされている。囲炉裏(いろり)にあったてばかりいる、怠け者の手足にできた火型を火斑(ナモミ)といい、そのナモミを剥いて懲らしめ、真面目な人間にしてやるという意味で、ナモミ剥ぎがなまって「なまはげ」になったという。
しかしなまはげは、こうした怠け者を懲らしめるという意味だけではとらえられないものがある。なまはげの装束であるケデから落ちた藁くずは無病息災の護符ともされてきた。つまりなまはげが神聖なものであるという信仰がそこに強く現れているとみれる。こうした深い信仰に支えられたなまはげは、昭和53年には国の重要無形民俗文化財に指定されている。
「なまはげ紫灯祭り」は、古くからの「男鹿真山神社紫灯祭り」を基本として、観光用に作り出したイベントであり、二月十三日から十五日まで三日間行われる。
市観光協会が昭和三十九年、男鹿温泉郷の星辻神社で開いたのが始まりで、何回か男鹿温泉郷で開かれた後に、男鹿市北浦の真山神社に会場を移した。男鹿市や男鹿温泉旅館組合なども加わって、冬の秋田の行事として定着している。紫灯祭りを支えているのは七十世帯あまりの地元真山地区の住民だ。なまはげを含め“出演者”のほとんどを自分たちで努めている。
 なまはげ紫灯祭りは、鎮釜(ちんかま)湯の舞という、この地方の独特の神楽から始まり、開始から約一時間、広場中央部にともされた紫灯火が一段と勢いを増して、暗闇に炎と火の粉を舞上げる。それをバックに舞る「なまはげ踊り」は迫力満点。「神楽殿」では勇ましい「なまはげ太鼓」が披露されムードが高まる。
 そして、クライマックスともいえるのが、雪の積もった拝殿上の参道からの「山のなまはげ下山」。杉木立の間からなまはげのかざしたたいまつの火が浮かび上がってくる。その火が山の暗闇に連なる。境内に近づくにつれ、赤、青の鬼面がたいまつの火で浮かび上がり、幻想的な雰囲気を醸し出す。
ちぢれ髪、角、口、牙。なまはげ仮面にはさまざまな違いがあり、バラエティに富んでいる。男鹿市では約60集落においてなまはげ習俗が行われており、それぞれに根拠とする由来伝承がある。
なまはげの伝承は地域によって違いがあるのは当然で、地域の人々の手によって受け継がれてきた伝統によるものであるから、なまはげ自体の歴史も微妙に異なっているといえよう。これらを尊重しそれぞれの地域に根ざしたものが、なまはげ行事自体を豊かにするもので、それが継承していくべき価値が高いものである。
なまはげがどのような貌と姿をしているのかは、ずうと昔から、ただそう伝えられていることに過ぎない。そこに想像と信仰を加味してなまはげを造り上げてきたものとみられる。

関連リンク 男鹿市のホームページ
男鹿のなまはげ(男鹿のなまはげ保存伝承促進委員会)

なまはげ紫灯まつり(男鹿市) 「民俗文化を継ぐ」 (秋田魁新報連載記事より)

 「ウォー、泣く子、いねがー」「言うごど、聞がね子いねがー、ウォー」男鹿市、若美町で毎年大みそかの夜に地域の若者たちが面をかぶり「ケデ」という藁(わら)で編んだ装飾具を着て家々を回るのが重要無形民俗文化財「男鹿のナマハゲ」だ。年の折り目(年越し)に「神」が里に下りてきて人々に祝福を与えるという趣旨の民俗行事である。男鹿半島周辺のなまはげは古しい形態を残しており、しかも多くの集落に継承という全国的にも珍しいケースだ。

 この伝統的民俗行事と、真山神社の紫灯祭(一月三日開催)をドッキングさせて、観光用に作り出したイベントが「なまはげ紫灯祭り」である。二月十三日から十五日まで三日間行われる。

 市観光協会が昭和三十九年、男鹿温泉郷の星辻神社で開いたのが始まりで、何回か男鹿温泉郷で開かれた後に、男鹿市北浦の真山神社に会場を移した。男鹿市や男鹿温泉旅館組合なども加わって、冬の秋田の行事として定着している。

 紫灯祭りを支えているのは七十世帯あまりの地元真山地区の住民だ。なまはげを含め“出演者”のほとんどを自分たちで努めている。出店も真山地区の女性たちの担当で、まさに「地区住民総出の祭り」。それだけに「自分たちの祭り」という思いが強い。

 大みそかの時は地域の結婚前の若者がなまはげになる決まりだが、祭りの時は年代を越えて住民総出で運営にあたるため連帯感も強まる。初日は午後六時すぎ、「紫灯祭」の「湯の舞・ちん釜祭」で幕を開ける。湯の舞は男鹿地区独特の神事舞。湯ぼうきで釜に沸かされた湯をたてて、湯花を参列者にかける。これは、「四界万物を清浄にする」という意味合いがある。そして、真山神社のみこが扇と鈴を手に幽玄に舞い、神事舞を奉納する。

 続いて、「なまはげ入魂の儀」。なまはげに扮する若者は必ず家々を回る前に“鬼神”になるため氏神に参拝するしきたりがある。参道入り口付近でおはらいを受け、男たちは面、衣装を清める。

 次は、神楽殿に場所を移しての「なまはげ再現」。真山地区の民家の大みそか風景を再現したものだ。なまはげ行事は面、装束、持ち物、なまはげの所作、家人との問答などに地域によって違いがみられる。真山のなまはげの面は角や牙がないのが最大の特徴。形相からは鬼のイメージがわかない独特の風貌である。出刃包丁などの持ち物もない。

 「再現」では玄関戸をガタガタとゆらしながら、なまはげが家に入ってくる。「ちゃんと勉強するがー」「かあさんのいうごどきぐがー」「いうごどきがねば山さ連れでいぐどー」と子供たちにすごむ。家主が「うちの子供たちはゆうこときぐ」「さげっこやるがらごめんしてくれ」と言ってなだめ、用意していたお膳の前に座らせる。子供も酒を注いで接待する。

 なまはげが回った家で何を言わなければならないといった決まりはない。家族のその年の無事をたたえ、家内安全、無病息災、豊作などを祈るとともに、新しい年に希望がわくような言葉を述べる事になっている。年配の人がいるときは、長寿を祝う言葉を言うし、嫁が嫁いだばかりの家では、早く家に慣れ、地域に溶け込むようにと嫁を諭す。

 また「再現」では、随所になまはげがシコを踏むような動作を繰り返す。座敷に入ってすぐに七回、お膳に座るときに五回、お膳から立つときに三回、それぞれ片足ずつ上げて「足踏み」するしきたりである。

 「再現」が終わると、「里のなまはげ」の乱入となる。なまはげが、雄叫びを揚げながら見物客を追い回す。開始から約一時間、広場中央部にともされた紫灯火が一段と勢いを増して、暗闇に炎と火の粉を舞上げる。それをバックに舞る「なまはげ踊り」は迫力満点。「神楽殿」では勇ましい「なまはげ太鼓」が披露されムードが高まる。

 そして、クライマックスともいえるのが、雪の積もった拝殿上の参道からの「山のなまはげ下山」。杉木立の間からなまはげのかざしたたいまつの火が浮かび上がってくる。その火が山の暗闇に連なる。境内に近づくにつれ、赤、青の鬼面がたいまつの火で浮かび上がり、幻想的な雰囲気を醸し出す。

 この後、その年の無病息災、開運招福の効能があるといわれる紫灯火で焼かれたもちが観光客に配られる。紫灯祭りは、いわば観光用に組まれた「なまはげのショー」でもある。しかし、伝統ある民族文化がこの行事をしっかりと支えており、地域に欠かすことのできないエネルギーを生み出している。

関連リンク 男鹿市のホームページ
男鹿のなまはげ(男鹿のなまはげ保存伝承促進委員会)
なまはげU(動画付き) 美しき水の郷あきたTOP