鳥海山麓INDEX 鳥海山麓1 鳥海山麓2 鳥海山麓3 鳥海山麓4

 源流の風景・象潟町(写真はフリーデジタルフォト100 阿部昭良写真集「みちのく秋田四季秀景」より)・・・苔に覆われた岩肌一帯から、鳥海山の伏流水が勢い良く流れ落ちている。ここは、象潟町の貴重な水源の一つ。
 温水路・・・白雪川水系は鳥海山の融雪水と湧水に涵養され、夏でも摂氏10度前後の冷水を入れざるを得ず、冷水害は、最大のガンとして、古来その対策に腐心してきた。冷水害地方に多く見られる水田犠牲田や水口迂回水路の設けられた跡が現在でも点在している。日本で初めて温水路を考案した長岡部落・佐々木順次郎は、生前次のように語っている。「研究した訳でもなく、先例も知らなかったが、従来の経験から水路の幅を広くし、水深を浅くし、緩流せしめ、さらに多くの落差工を設け水をもむ(かく乱すること)ようにすれば水温は上昇すると考えた」

 昭和2年初めて完成した長岡温水路に続いて、昭和4年、大森温水路が完成すると、その効果が水稲収量に現れ始め、他の部落でも競って狭い旧水路を温水路に変更する計画が立てられた。昭和12年水岡温水路、18年小滝温水路、25年象潟温水路、さらに昭和26年、県営冷水温障害防止施設事業として上郷農協に委託してから小滝、大森、長岡、水岡温水路が相次いで改修・温水路の延長工事が行われた。その規模も幅20mとなり、ここに一大温水路群を完成させた。
 温水路を流れる水は、清流そのもの。幾つもの落差工を流れ下る瀑布は、まるで涼感を誘う小滝が連なり、親水空間としては一級品だ。農業用水路を流れる水としては、恐らく日本一透明度が高いと言えるだろう。流れも緩く、水深も浅い。女性の地方委員から「子供と一緒に水遊びするには最高の場所だね」という声が上がった。
 底石まで、丸見えなのがわかりますか。渓流の流れと見紛うほど、流れは清冽そのもの。  奥に鳥海山が雲に覆われているのがわかりますか。鳥海山がくっきりと姿を現したら、絶好のシャッターチャンスなのだが・・・。
 象潟町、水田に浮かぶ103の島は、国の天然記念物。松が生い茂る島々が田園地帯に浮かぶ特異な景観には、景観を守ってきた人々と近世農民の歴史が刻まれている。

 象潟は多くの入江に島を浮かべ、秀麗な鳥海山を水面に映す絶景の地であった。松島と並び俳人松尾芭蕉がめざした景勝の地であった。「松島は笑うが如く、象潟はうらむがごとし・・・象潟や雨に西施(せいし)がねむの花」と「奥の細道」に記している。
 文化元年(1804)、鳥海山麓を震源地とする直下型地震により突如隆起する。いわゆる象潟地震である。これによって芭蕉が称えた景観は一変、約1.8m〜2.7mも隆起し、水面に浮かんでいた小島は、陸地と化してしまった。この後、新田開発が始まったが、蚶満寺第二十四世の覚林が島々の保護を訴えた。彼は後に捕らえられ獄死したが、覚林が守ろうとした景観は、今なお保全され、名勝の地として人々の心を惹きつけている。
1200年の歴史をもつ蚶満寺。写真は山門、江戸中期の建造と推定され、矢島城主生駒家の寄進と言われる仁王像が納められている。 松尾芭蕉像。地元では、芭蕉の「奥の細道」が象潟の人気を高めたと称えられている。以来、文人墨客の足跡が数多く残されている。平賀源内、小林一茶、菅江真澄、正岡子規、田山花袋、竹久夢二・・・最近では、山本健吉、司馬遼太郎、森敦・・・
道の駅・象潟「ねむの丘」。秋田の玄関口に位置し、秋田の観光情報や文化、歴史など、さまざまな情報を提供している。4Fは、日本海の夕日を眺望できる展望温泉、6Fは、日本海や九十九島と田園が一望できる展望室。田園空間博物館では、象潟町の核となる総合案内所的な機能もあわせて期待されている。
 象潟図屏風六曲一双/牧野永昌筆。
 象潟町郷土資料館では「大鳥海山展」が催されていた。資料には、次のように記されていた。「この地を訪れた人たちは、海岸から立ち上がる秀麗な山容に心を奪われ、紀行文や絵画、歌などにその感動を遺してきました。特に文人たちの作品は、九十九島と鳥海山という構図が多く、九十九島は背景に鳥海山があってはじめて、その景勝が天下に知られたといっても過言ではありません。・・・数々の鳥海山の記録は、・・・その時代の人々の暮らしや文化、そして心を今に語っているのです。」
鳥海山張抜模型(山形県遊佐町・鳥海山大物忌神社蔵)。これは秋田と山形の領分争いを立体的な資料として作成した大変貴重な資料。出羽国内の領内絵図、地図などに鳥海山は不可欠であり、それは単なる目印としてではなく、自分たちの領分に、知られたる鳥海山があることを誇示するためでもあった。そのことはやがて鳥海山の名声と利権をめぐる周辺の人々の争いを生むことにもなっていった。 象潟図屏風六曲一双/牧野永昌筆。画面の上に鳥海山の麗姿を描き、点在する島や入り江を忠実に描写している。旧象潟の絶景を伝える貴重な文化財。
金峰神社、その向かいにある奈曽の白滝へ至る参道。老木が鬱蒼と生い茂り、苔生した石畳が歴史を感じさせる。 鳥海山から流れ出る水が高さ26m、幅11mの大きな滝となって流れ落ちている。「暑さとは、どこの事か奈曽の白滝」・・・昭和7年、国の名勝に指定。
 2日間にわたって6町の展示施設を現地調査した後、意見交換を行った。その要点を記しておきたい。
・ 現地で各市町村の方々が熱心にご説明され、並々ならぬ熱意を感じた。
・ 見るべき地域資源が多いことに、改めて驚いた。たくさんの地域資源を結ぶアクセスがもっと良くなればと思った。
・ 歴史的な資源も多く、範囲も広い。巡回路線を考慮した計画を。
・ それぞれの町で濃淡があり、いいポイントをとらえていると思う。今後は6町の地域連帯をどうやっていくか、町民の要望、地域内外の交流をどう進めていくのか課題も多い。
・ 猿倉人形などは価値ある伝統芸能だ。こうした伝統芸能の伝承を含めた取り組みを期待したい。斎藤宇一郎は、農業振興にとどまらず、教育にも多大な業績を残した人だ。そうした面も含めて整理してほしい。

・ 残念ながら各施設には、ギボクが目立った。本物と偽者とは区別して使うべきだ。田園空間整備事業では、本物の木を使ってほしい。
・ 矢島町の民部坂は、急勾配な道路にヒビか入ったり、乾田馬耕碑の周辺が草ボウボウだった。歴史的な町並みの景観に配慮した計画にしてほしい。
・ 広いエリアだったが、それぞれ地元の熱意、宝物がたくさんあることを感じた。木材がキーポイントではないか。「水と木材」を活かしながら、子供たちに歴史を伝授していくことが大切だ。
・ 今後の課題として、連携の強化と推進、交流、PRをどうするか。
・ 鳥海山の水との係わりを強く感じた。

・ 6町の歴史、自然、充実した2日間だった。源を探ると「鳥海山と水」という感じを強く受けた。各町とも個性があって大変良かった。
・ 温水路は、素晴らしい施設だが、小学生でもわかるような案内板があればいいな、と思った。花立堤をぐるっと回る遊歩道は3kmもある。お年寄りでも途中で戻れるような道路や道案内があればいいと思う。
・ これまで水神様や道祖神、墓碑、鎮守の森的なものを取り上げた例はなかった。こうした農村地域の隠れた特徴を出せればいいと思う。
・ 説明文や看板に統一したシンボルマークがほしい。

・ 矢島町の古い町並みは、十分登録文化財に値する。いろいろ補助制度も活用できるのでぜひ登録を。
・ 鳥海山麓の自然景観は素晴らしい。東由利町は、八塩そばを品物として売るだけでなく、その場で食べられる手打ちそばを出すとか、地域の食材を提供するとか、コーヒーを出すなど、もっと経費節減のための努力を検討すべきだ。
・ 広域的な連携はもちろん、他の近隣市町村へも呼び掛けが必要。広域PRパンフと鳥海山麓線とのアクセスを検討してはどうか。

各委員の意見・感想を受けて真勢委員長が次のように語った。
「新規事業は、ベンチャー事業だ。森林の問題を解決するためにも間伐材を可能な限り使ってほしい。
沢部では休耕田が目立った。耕作放棄地とはいえ、何百年も続いた価値の高い構造物だ。そのまま何もしないでよいのか。沢全部をビオトープ化してやればどうか。そこを学童の人格形成に活かす。ホームページで全国に発信すれば、非常に価値は高いと思う。
学童の目で、少し遊び心で構想できないか。パズル、クイズ的な発想、絵解きでやるような企画を取り入れてほしい。
日本版のエコミュージアムは、全国平均で1地区2町村である。鳥海山麓地区は6町、範囲が広く相当難しい。ハードをやることはできるが、終わった後どうするのか、継続性をどう確保するのか、今後の課題だ。
都市と農村の交流という言葉は、そもそもおかしい。農村の自然、歴史、文化は、都市には「ねばならぬ」ではなく「面白ければ参加しても良い」程度のもの。しかし農村にとっては「ねばならぬ」ものである。そもそも立脚点が違う。
鳥海山を中心に6町は水でつながっている。本当の意味で一体化が必要だ。森が荒れれば下流は困る。鳥海山の自然を荒らせば困る運命共同体として6町は一体化していくべきではないか。」
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