鳥海山麓INDEX 鳥海山麓1 鳥海山麓2 鳥海山麓3 鳥海山麓4

 萱葺き農家の背に、白い雪をまとった鳥海山が聳え立ち、シロカキが終わった水田に鳥海山が逆さに映っている。ここには、霊峰・鳥海山と田園空間が調和した独特の景観があり、日本人の原風景、心のふるさとがぎっしり詰まっている。(写真は、池田和子さんの写真集「山里残像」より)

 標高2236m、東北第二の鳥海山は、出羽富士あるいは秋田富士とも呼ばれ、古くから修験登山が盛んに行われてきた。鳥海山の豊かな自然は、山麓に住む人々に命の水と山の幸をもたらし、荘厳な山容は、神の鎮まる山として信じ仰がれ、度重なる噴火は畏怖と畏敬の念となって、遥か昔から崇められてきた。秋田県民歌の冒頭には「秀麗無比なる鳥海山」と歌われている。鳥海山が、この地の人々の生活と暮らしに深く関わってきたのはもちろんのこと、秋田県民にとっても心のシンボルとして捉えられてきた。
 鳥海山牛王宝印札・・・この御札を田んぼの水口に立てて豊作を祈願したという。大鳥海山展(期間は平成14年5月下旬まで)の資料「信じ仰がれたる鳥海山」には、次のように記されている。

 「鳥海山は、中世以降、大物忌神としての国家鎮護の役目をほぼ終えて、本来そうであったように五穀豊穣をもたらす神の山として仰がれるようになりました。一方で、海岸沿いにそびえる鳥海山は、海に生きる人々にとっても、沖合いから漁場を分ける目印であり、航行の目標であったため、古くから豊漁と海上安全を守る神の山ともされてきました。・・・修験者が毎年6月に虫除け祈願に登拝し、人々はその際の修験神礼をもらって田畑に病害虫がないように祈ったり、豊作祈願に鳥海山牛玉宝印札を田の水口に立てるなど、修験は人々の暮らしに大きな影響を与えるようになりました。このような、農業、漁業を営む上で不可欠であった鳥海山を仰ぎ見る心は、数々の神事、行事、芸能を育み、今に伝えているのです。」

 日本初の温水路(象潟町)・・・水路の幅を広く、水の深さを浅く、流れをゆるやかにし、多くの落差工を設けている。ゆっくり流れる温水路は、太陽熱を吸収させ、水温が上昇する。1927年(昭和2年)、佐々木順次郎が考案した温水路は、古来より悩まされ続けてきた冷水害を見事に克服した。

  霊峰・鳥海山は、海岸からわずか15kmぐらいで一気に立ち上がる全国でも珍しい景観をなし、山麓一帯では、山岳信仰の流れをくむ共通の番楽や獅子舞が数多く伝承されている。鳥海山の伏流水は、夏でも水温10度前後の冷水で、これを克服するために築造された数々の農業用ため池や日本で初めて考案・設置された温水路など、伝統的な土地改良施設もたくさん残されている。こうした鳥海山麓の特異な景観や歴史、伝統文化・・・は、私たちの貴重な財産である。

 鳥海山麓6町(矢島町、由利町、東由利町、鳥海町、仁賀保町、象潟町)全体を博物館とみなして、大切に守り育てるために、平成13年度から田園空間博物館整備基本計画の検討が進められている。基本計画は、学識経験者や地域の代表者等で構成する「あきた田園空間博物館整備地方委員会」(委員長は真勢徹秋田県立大学短期大学部教授、委員15名)の指導助言を受けながら、策定する予定。

 平成13年8月下旬、地方委員会は、6町の代表的な展示施設を2日間にわたって現地調査を実施した。その現地調査を取材したので、写真を中心にお伝えしたい。

鳥海山麓1 矢島町
鳥海山麓2 鳥海町、東由利町
鳥海山麓3 由利町、仁賀保町
鳥海山麓4 象潟町、地方委員会コメント

参考文献
・大鳥海山展 象潟町郷土資料館
・矢島町まちづくりグランドプラン素案策定調査報告書 エコミュージアムのまちづくりに向けて(平成10年3月 矢島町企画情報課、(株)L.AU.都市施設研究所)
・写真集「山里残像」 池田和子
・各市町村要覧、指定文化財、史跡、観光パンフレット
・平成13年度新規田園空間整備事業計画概要書鳥海山麓地区 秋田県

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