![]() 岩崎の鹿嶋様、旧長谷山邸、仙道番楽・西馬音内盆踊り、地産地消ランチ、刈女木湿原、蒐沢・棚田ライブ・・・ |
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| 平成17年9月11日、「2005秋田県中山間ふるさと水と土現地見学会」を湯沢市、羽後町で開催しました。 秋田の農山村のもつ魅力を再発見し、あわせて中山間の抱える問題に関心を持つことから始めることを主な目的に、雪国・雄勝を「自然と人間と文化」が見事に調和した「屋根のないふるさと博物館」とみなして企画実施したもので、前日の9月10日に秋田市ALVEで開催した「2005秋田県中山間ふるさと水と土フォーラム」の現地体験版として、秋田県中山間地域土地改良施設等保全対策事業(ふるさと水と土事業)で実施したものです。 特筆すべきは、一般参加者だけでなく、地元の方々が我が村の「自然、人、文化」の素晴らしさを再発見、再認識することができたという点です。(写真:仙道番楽鑑賞) |
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| 「美しき水土里の郷おがち」をめぐる今回の現地見学会の概要は以下のとおり。(写真:棚田ライブ「野花南(のかなん)」) ▼自然・・・秋田県自然環境保全地域「刈女木湿原」 ▼歴史・民俗文化・・・岩崎の鹿嶋様、三輪神社、仙道番楽、西音馬内盆踊り、羽後の鷹匠、旧長谷山邸、菅江真澄の道 ▼食文化・・・羽後町の農家レストランと田代地区の郷土料理名人たちによる地産地消ランチ、羽後町特産品直売 ▼美しき水土里の風景・・・茅葺き民家と棚田が連なる蒐沢(あざみざわ)、「野花南」による絵本朗読、棚田ライブ (開催案内・概要等はこちらをご覧ください) |
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| 現地見学会Part1・・・稲作文化の傑作、湯沢市岩崎の鹿嶋様 | |
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| 八幡神社の奥に末広町と栄町の二つの鹿嶋様を祀っている。9月11日は、ちょうど神社の祭典で末広町の鹿嶋様は綺麗に化粧直しされていた。 | |
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| 杉の巨木を背に仁王立ちした鹿嶋様(末広町)・・・湯沢市文化財保護協会の小山先生から鹿嶋様の作り方から歴史、文化に至るまで説明を受けた。鹿嶋様は、凄まじい形相をした木彫りの面と高さ4mもの巨大なワラ人形で、面と骨組み以外は全て稲ワラで作られている。疫病退散、家内安全、五穀豊穣を祈る伝統行事で、「米の国・秋田」を代表する稲作文化の一つ。村の守り神として、村を見下ろす位置に祀られている。 稲ワラで作られた鹿嶋様は、雨露に濡れると次第に腐ってくる。そこで末広町の鹿嶋様は、春と秋の二回化粧直しを行っている。この化粧直しを繰り返すことによって技術が伝承されている点を見逃してはならない。 |
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| 「アメリカで おおワンダフル 鹿嶋様」と記された標柱・・・岩崎の鹿嶋様は、国立民族博物館やワシントン市キャピタル児童博物館にも保存展示されている。また東京日本橋で開催された「棚田体験展」やニューヨーク・スミソニアン博物館主催のイベントにも招待されるなど、国内はもとより世界的にも有名である。 | |
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| 現地見学会Part2・・・仙道番楽鑑賞(旧長谷山邸) | |
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| 旧長谷山邸・・・旧田代村の地主・長谷山家の邸宅で、母屋は明治15年、土蔵は明治35年に建築された。床面積870平方メートル、約264坪。その邸宅を町が譲り受け、平成10年に改修整備し、現在羽後町総合交流促進施設として活用されている。その旧長谷山邸の庭を舞台に、約400年の歴史を誇る山の民の文化・仙道番楽が披露された。 | |
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| 仙道番楽・・・昭和39年、秋田県指定無形民俗文化財に指定。一説によると、約400年前、鳥海山にこもった山伏行者が、雪が降る頃下山し、山麓の村々を疫病退散、悪魔払い、家内安全を祈って獅子舞を演じて回り、夜には、人々を集め、神楽舞を演じたものが村人に伝わったとされる。種目は、表六番、裏六番の十二幕。 | |
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| 今回は、「一番 御獅子之舞」、「三番 道化三番叟」 「六番 鶏舞」を披露。写真は「一番 御獅子之舞」。現在、この番楽は上仙道桧山、中村、新処集落の人たちが「仙道番楽保存会」を作って伝承している。 | |
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| 左:仙道番楽の舞台、白山神社 右:上仙道新処「仙道番楽再興記念碑」 仙道番楽の再興・・・「山また山に囲まれた羽後町仙道地区を歩くと、あちらこちらの道端に碑が建っています・・・面白いことに、立身出世した名士などのものは見当たりません。無名だけれど、貧しい村のために尽くした指導者や陰徳者ばかりで、こうした自分たちの英雄をたたえようと、みんな力を合わせて建てたのだと思われます。 ・・・新処児童公園の隣には一段と大きな碑で゛番楽再興祖 武田七蔵翁・武田勇治翁・武田貞助翁゛の三人が刻まれています・・・昭和21年頃、どこの村でも流行していたのは三度笠に長ドス姿で踊る゛やくざ踊り゛と村芝居でした。・・・医師の武田保清先生が語りかけてくれました。 ゛仙道さ番楽という立派な郷土芸能があるのに゛ と、番楽の復興と伝承の必要性を説き薦め働きかけてくれました。・・・十二名の青年が集い、太鼓の七蔵さん、舞い方の勇治さん、笛の貞助と他に四人の舞い方師匠に頼みました。・・・練習を重ね、十数年振りで番楽を復活させ、初舞台を披露することができました。」(「仙道番楽一代記」武田憲一著) |
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| 幕を大きく広げて舞う獅子舞・・・演目の中でも特に大切なのが獅子舞。これは悪魔払い、無病息災を祈念するもの。獅子頭がまるで生きているかのような力強い舞いに、山の民のエネルギーを実感させられる。 大きな課題は、仙道番楽のような伝統文化を引き継ぐ若い人たちが年々少なくなっていること。そこで楽団では、地元の仙道小学校の子供たちを中心に「子供番楽」として十数年前から番楽を教え、地元のお祭りなどで発表している。この中から将来、番楽を継承してくれる人が出てくることを切に願っているという。 |
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| 伴奏(おはやし)には、太鼓、かね、笛を使う。調子は、鳥海番楽の3拍子に対し、仙道は5拍子でテンポがあって独特のもの。つまり仙道番楽は、近隣の鳥海番楽とはまったく別ものだという。 | |
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| 拍手喝采を浴びた「三番 道化三番叟」・・・番楽は、高尚な舞だけではない。こういう世俗的な道化の芸で参拝者を喜ばせる。祭りを盛り上げ、皆で笑いさざめくことがまた神様を喜ばせることになるのだという。番楽は、村全体の余興として仙道独特の発展を遂げたことが分かる。 | |
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| 仙道番楽を代表する舞、「六番 鶏舞」・・・赤系の衣装がメンドリ、青系がオンドリで、お互いに睦み遊んでいるかのように舞う。舞の美しさを通して、夫婦和合、家内円満、子孫繁栄を祈る。普通のタスキガケは、後ろにバッテンがあるが、仙道番楽のタスキガケは、前にバッテンがあるのが特徴。 | |
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| 頭に被っているのが「鶏かぶと」で、左手に色付き扇子、右手に楽器のように鳴らすシャクジョウを持っている。シャクジョウは、山伏行者がいつも持っていた楽器で、悪魔払いなどの意味があるという。番楽では、邪魔にならないように短いものを使っている。これは、仙道番楽の起源が、山伏神楽に由来していることを物語っている。 山間地域に位置する上仙道地区は、村の神社を中心に連帯し、その象徴として仙道番楽を守り伝えてきた。激しい動きで悪魔を払う獅子舞、観客を笑いの渦に巻き込む道化、鶏かぶとをかぶりシャクジョウと扇を持って美しく舞う鶏舞・・・普段見ることができない貴重な番楽だけに、観客から何度も大きな拍手が送られた。 |
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動画を見ることが出来ます(AVIファイル:メディアプレイヤー等が必要です) |
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| 現地見学会Part3・・・「西馬音内盆踊り」(国指定重要無形民俗文化財)も登場 | |
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| 羽後町商工会婦人部の踊りの名手二人が、急遽駆けつけ、西馬音内盆踊りを披露してくれた。予定外のサービスに観客は大喜び。西馬音内盆踊りは、日本の盆踊りの中でも最も美しい振りをもつ盆踊りのひとつと言われる。 ▼右:彦三頭巾・・・黒い覆面をかぶった彦三頭巾は、踊り手の表情がまったく見えず、亡者を連想させ幻想的な雰囲気をかもしだしている。彦三頭巾をかぶる若い女の子たちは、浴衣を着用する。西馬音内では、手絞り藍染めの変化に富んだ個性的な浴衣を多く見ることができる。 ▼左:端縫い衣装・・・4〜5種類の絹生地をあわせて端縫った衣装で、女性が多く用いる。この場合は彦三頭巾ではなく、編み笠をかぶり、帯の結び方は御殿女中風な形になる。 |
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| 「おら、わらしの頃はなんす、道路の上さじかに大きなかがり火を焚いて、その明かりで踊ったもんだす。今のように道がよくねえもんだから草履がすぐ切れてしまって、踊る人はみな腰さ草履をぶら下げて踊ったもんだす。その頃はなんす、盆の16日から一週間ぶっ通しで踊ったもんだす。かがり火焚いて、月明かりでなす。だから今とはなんと違って、風情があっていいもんだったす・・・この盆踊りは、年に一度パーッと咲く花のようなものだす」「秋田・芸能伝承者昔語り」(民族芸術研究所編、秋田文化出版) | |
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| 優雅な編み笠、先祖伝来の美しい端縫いの衣装、指先の柔らかなくねり、編み笠の下から覗く白いうなじに酔う・・・賑やかで勇ましく野性的なお囃子に対して、優雅で流れるような上方風の踊りが西馬音内盆踊りの特徴。毎年、8月16日〜18日、羽後町西馬音内本町通りで開催されている。踊りのプログラムは「音頭(おんど)」と「願化(がんけ)」の二種類。 | |
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| 現地見学会Part4・・・羽後町の食文化を味わう地産地消ランチ | |
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| 地元農家レストランと田代の郷土料理メンバーが腕をふるった地産地消ランチ・・・地元産そば粉を使った「冷がけそば」、田代産ハサ掛け米おにぎり、漬物、揚げなす(特製味噌かけ)、オクラと菊のからし和え。 | |
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| 田代地区のシンボル・旧長谷山邸での地産地消ランチは、すこぶる好評だった。伝統芸能も食文化も舞台がいかに大事であるかを改めて痛感させられた。 | |
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| 影の主役たち・・・美味しく食べてもらいたいと、昼食時間に合わせて150食に及ぶ「冷がけそば」を作る。リーダーは、羽後町で農家レストラン「そば屋彦三」を営む猪岡専一さん。 | |
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| 地元の特産品直売コーナー・・・田代・仙道加工グループ、みなとや、木村屋、佐々木製麺所、大嶋昭栄堂、菅原酒店、ながや、羽後町商工会婦人部の8団体が参加。 | |
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| 現地見学会Part5・・・48豪雪&羽後の鷹匠16mm映写 | |
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| 昭和49年に製作された秋田県政ニュース・・・観測史上記録的な大雪となった昭和48年の豪雪の記録と上仙道桧山の鷹匠・土田力三さんの貴重な記録が放映された。 | |
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16mm映写に出てきた上仙道桧山の鷹匠・土田力三さんは、昭和51年2月、鷹の訓練中に井戸に落ち不慮の死を遂げる。左の写真集は、その後、「最後の鷹匠」と呼ばれた故・武田宇市郎さんを埼玉のカメラマン・野沢博美さんが14年の歳月をかけてカメラで追った作品である。 昔の武士やレジャーとして行われているタカ狩りは、ハヤブサやオオタカを使って鳥類をとる。一方、獲物を生活の糧にしてきた仙道の鷹匠は、それよりはるかに大型のクマタカを慣らし、野ウサギやテン、タヌキなど獣類の狩りをしてきた伝統猟法だ。つまり、同じ「鷹匠」でも両者は全く違う。 熊鷹文学碑に刻まれた羽後の鷹匠は45人。昭和61年、最後の鷹匠と言われた故・武田宇市郎さんが鷹匠を廃業することを宣言。長い間、農と狩りによって生きる伝統習俗・農民鷹匠の灯も消えてしまった。 |
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| 左の写真:空の王者・クマタカは、山岳地帯の深い谷間の森林に生息。全長70〜80cm、翼を広げると1.5m、体重は2〜4キロ。4km先の獲物を見つける視力と、時速200キロの飛行力をもつ空の王者である。 昔の村田銃は性能が悪く、ウサギを一冬で100匹捕るのが精一杯。鷹は、200〜300匹も捕った。しかし鷹匠は「生き物を使って生き物を捕らえる」、これほど高度な技は誰にでもできるものではなかった。 右の写真:羽後町上仙道桧山集落の狩猟碑。鷹匠として活躍した三浦親子を称え、碑に刻まれている恒吉の甥の土田林之助さんが昭和35年に建立したもの。碑に刻まれている三浦恒吉さんは「鷹の医者みたいな人」と言われた名鷹使いだった。 |
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| 左:鷹匠の里・上仙道桧山集落。背後の山が鷹狩りをした出羽山地。 右:熊鷹文学碑(羽後町五輪坂)・・・農民鷹匠・武田宇市郎さんをモデルにした故・藤原審爾先生の小説「熊鷹・青空の美しき狩人」の一文を刻んだ熊鷹文学碑。その碑には、「草も木も鳥も魚も/人もけものも虫けらも/もとは一つなり/みな地球の子」と刻まれている。 |
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| 現地見学会Part6・・・「野花南」による絵本朗読 | |
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| 土蔵三階の大集会室で、音楽にのせて絵本の朗読が行われた。それはそれは見事な語りだった。田んぼが自ら語るストーリーを馬頭琴やギター、口琴など、独特の効果音で観客を魅了した。生き物の賑わいの中で幸せだった田んぼも、やがて耕作を放棄され、しばらく眠る。一度は田んぼの人生ももう終わりかと思う。。しかし、いつしか時が過ぎ、子供たちがやってきて、田んぼに再び稲が植えられ、また実りの秋を迎える。そして最後に田んぼはつぶやく・・・「田んぼは、稲が実ってこそ田んぼだ」と。 バスの中でガイドを務めた田代の歴史を探る会の柴田さんが、「この田んぼの心を描いた絵本の朗読に感激した」と語っていたのが印象に残った。 |
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| 現地見学会Part7・・・県自然環境保全地域「刈女木湿原」の自然観察会 | |
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| 自然観察会は、バスA、B、Cの三班に分かれて実施された。刈女木湿原は4つの沼からなり、古くから農業用水として利用されてきた。写真は、入り口から約800m上流の第4の沼。この沼は、平成11年、土地改良総合整備事業で改修整備された。その際、自然保護課や今回講師を務めた藤原正麿先生の指導を受け、改修前の水位変動を極力維持できるように設計施工された。 | |
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| 核心部の湿原を散策しながら自然観察会を楽しむ。講師を務めたのは、県自然保護指導員の経験を持つ地元の専門家3名。草花一つ一つに名前を記した札を立てるなど、懇切丁寧な対応に参加者は感激していた。 昭和51年3月30日、秋田県自然環境保全地域に指定された。主な特色は、典型的な低層湿原で、原野と山地性植物、湿地植物が共生していること。種類が多く、64種に及ぶこと。早春から晩秋にかけて、常時花が見られることなどが高く評価された。 |
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| 刈女木湿原の固有種・ガリメギイヌノヒゲ。刈女木湿原の標本に基づき新種として記載発表された。短い地下茎をもち、多くは2果室であることが特徴とされ、他の地域では発見されていない。花期は8〜9月。・・・「刈女木の/湿地にひそむ/イヌノヒゲ」(うご町郷土かるた) | |
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| バスAの自然観察会の講師を務めた藤原正麿先生。田代小学校の教員だった藤原先生は、昭和48年夏、この湿原を発見された。 | |
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| サワギキョウ・・・茎の上部に総状花序をつくり、濃紫色で長さ3cm内外の唇形の花をつける。花期は8〜9月。 | リンドウ・・・青紫色の美しい花は長さ4〜5cmあり、茎の先や葉のわきにつく。花期は9〜10月。 |
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| ヒツジグサ・・・池沼に生える多年生の水草。葉は広楕円形で、水面に浮かび光沢がある。白色の清楚な花を1個開く。 | |
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| ミソハギ・・・花は葉のわきに3〜5個集まって穂状につく。花弁は4〜6個。茎は直立して高さ1m前後となり、上部で枝を分ける。花期は7〜8月。 | モウセンゴケ・・・日当たりの良い湿地に生える食虫植物。腺毛は粘着し、小さい虫はこれに触れると動けなくなり、腺毛から分泌する液で消化される。花期は6〜8月。 |
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| 現地見学会Part8・・・蒐沢(あざみざわ)の茅葺き民家と棚田 | |
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| 黄金色に染まった棚田と茅葺き民家、ハサ掛けの杭・・・美しき水土里の風景が広がる棚田に佇み、「野花南」による棚田ライブが行われた。左の茅葺き民家は、明治時代に建てられた築120年ほどの茅葺き民家だ。四囲が山に囲まれ、正面奥にも茅葺き民家が見える。まるで雪国の民話に出てくるような風景が広がっている。 蒐沢の棚田は標高250〜300m前後の高所に位置している。昭和40年代後半に地形に合わせた10〜15a程度の田んぼに整備されたが、それ以前は平均200〜250m2程度であった。現在の田んぼ1枚に5〜15枚もの小さな棚田が千枚田のように谷筋に向かって連なっていたという。当時の苦労がしのばれる。 |
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| よく手入れされた田んぼは、まるで庭のようにも見える。ならばこの田んぼを管理するお百姓さんは、さしずめ庭師ということになる。田んぼにも心があるとすれば、こんな幸せな田んぼもないだろう・・・右の写真は、美しき棚田を見て絵を描き始める埼玉からの参加者。 | |
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| 電気も石油もガスも水道もなかった昔は・・・水や燃料となる薪、田んぼに入れる山草が得やすい山麓、山間部から村が形成された。平野部は、新田開発が盛んに行われた江戸時代以降で比較的新しい。私たちの村のルーツは、中山間地域から始まったと言われている。 | |
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| いつも静かな田んぼに、何と150人余の人たちがやってきた。そして田んぼを背景に、記念撮影をするやら、馬頭琴とホーミーという聞いたこともないライブまで始まった・・・果たして田んぼはどんな気持ちで出迎えたのだろうか。(前列右から5人目が、この棚田を管理している安倍忠雄さん) | |
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| 現地見学会Part9・・・棚田ライブ「野花南」 | |
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| 美しき棚田を舞台に「野花南」(嵯峨治彦[左]&田中孝子[右])による棚田ライブ・・・嵯峨治彦さんが弾いている楽器は、モンゴルの遊牧民の間に古くから伝わる民族楽器・馬頭琴(ばとうきん)で、「草原のチェロ」とも呼ばれている。 | |
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| ホーミーとは・・・モンゴルの伝統的な発声法で「のどうた」の一つ。「一人で二つ以上の音を同時に発生」する。低い音は喉から絞り出す唸り声、高い音は倍音を利用した口腔内部での共鳴音とのこと。歌詞はなく、澄んだ高音部の声でメロディを歌う。 | |
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| 一人で馬頭琴の伴奏をしながら、ホーミーと呼ばれるモンゴルの「のどうた」でメロディを奏でる。その魔法のような演奏は、四囲の里山と棚田一杯に響き渡った。不思議と棚田の風景にピッタリ・・・観客はもちろんのこと、田んぼもきっと魂を揺さぶられたに違いない。 | |
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| 棚田ライブが終了すると、感激した観客から、「アンコール、アンコール」の大合唱が沸き上がった。疲れていたにもかかわらず、快く応じていただき、現地見学会は一気にクライマックスに達した。今にも泣き出しそうな空だったが、天も棚田ライブに酔ったのか、雨を降らせるのを忘れてしまったようだ。「野花南」さん、ありがとうございました。そして素晴らしい舞台を提供いただいた安倍忠雄さん、ありがとうございました。 | |
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| 菅江真澄の道・・・軽井沢最奥の村・田茂ノ沢(時間オーバーでカットされた) | |
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| 菅江真澄(1754〜1829)は、江戸時代後半の紀行家で、三河(愛知県)の生まれ。 1783年、真澄30歳の時に三河を出発、東北、北海道を旅し、この世を去るまで46年間旅を続け、多くの著作を残した。真澄は、秋田藩にとっても巨人だった。民俗学の創始者・柳田国男は、菅江真澄を高く評価し、自分の学問の先覚者のように敬愛したほど。 秋田県立博物館発行の「真澄紀行」(1500円)には、菅江真澄の魅力を5つに要約している。 @真澄の著作には、近世の庶民のようすが、わかりやすい絵をそえて、はば広く記されているとともに、歴史や文化を知る上で数多くのヒントを含んでいる。 A著作内容が豊富でさまざまな専門分野が関わり合える、学問上の魅力と可能性をもっている。 B真澄の旅の足跡が、現在も各地に確認でき、多くの人びととの交流のようすを知ることができる。 C人生の大半を旅とその記録に費やし、一貫して観察者としての姿勢をつらぬき、学び続ける者としての謙虚さを失わなかった生き方に魅力がある。 D著作のほとんどが秋田にあり、学ぶ環境が整っている。 |
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| 菅江真澄は、新潟、山形を歩き、1784年、31歳の初冬に象潟、矢島を辿り、鳥海町八木山から山越えをして田茂ノ沢に入った。つまり秋田に入って初めて雪の峠越えをした場所である。菅江真澄遊覧記「雪の八木山越え」には、その時の様子を次のように記している。 「カンジキを履いて凍った雪の上で木材を運ぶ木こりに聞くと、この山を下れば秋田領ですと教えてくれた。・・・道に迷っていると、富山の薬売りが来たので、その後をついていった。幾筋かの道は熊や猿の通った跡だという。はるか谷底に人家はあるが、雪の下となって、煙だけが立ち上っている。ようやく山を下りると、路のかたわらに、大雪にも隠れず大きな柱が立っている。 ゛田畑のものを盗み取ったものはこの柱にくくりつけるべし゛と書いてあった。これはどこの村でも入り口にたてているものである。こうして一日中雪に難儀しながら田茂ノ沢という家が三軒ある村に宿を求めた。軒下には滝の糸でもみるようにツララのかかっているのに夕月の影がさやかにうつるのを仰いで眺めた。 見るかげの さむけくもあるか 夜とともに ツララにうつる月はすさまじ」 220年も前に、既にこんな奥地にまで富山の薬売りがきていたことが分かる。「ツララにうつる月はすさまじ」・・・「美しい」とは詠まずに、「すさまじ」と詠んでいる。これは、大雪の中、獣道に等しい八木山越えが、彼にとっていかに「すさまじ」いものであったかが分かる。 現在、この集落は12軒だが、当時は3軒しかなかった。真澄が一夜の宿とした家は、一番谷底の茅葺き民家で、真澄が泊まったとの言い伝えが残っているという。 |
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| 記念撮影と参加者の感想・意見・・・バスA、バスB、バスC | |
| 現地見学会には秋田県外からの参加者も含め100名が参加しました。 (定員のため、お申込みを頂いたにもかかわらずお断りした方もおります。申し訳ございませんでした。) 以下は、参加者からのアンケートに寄せられたご意見・ご感想です。 (一部誤字脱字は修正させて頂いております) |
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| バスAの皆さん・・・地元のガイドは、田代の歴史を探る会副会長 柴田宣男さん、羽後町文化財保護協会会員 大野悦朗さん、元秋田県自然保護指導員 藤原正麿さんでした。ありがとうございました。 (バスA:秋田市・潟上市・五城目町・男鹿市・仁賀保町・藤里町などからの参加がありました) @このような企画をもう少し多くして欲しい。(せめて年2回位) A体験できるような企画があれば嬉しい。 Bいつの日か白神山地地区を見学してみたい。 ご苦労様でした。いろいろな面で細かい心遣いがあり、楽しくかつ有意義に過ごせた1日でした。自分たちが住んでいる秋田県のことを知る機会になりました。これからもアイディアを出し、地域や農業のことを知る企画を期待しております。ありがとうございました。 |
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| バスBの皆さん・・・地元のガイドは、羽後町文化財保護協会会員 飯塚武朗さん、現秋田県自然保護指導員 藤原重栄さんでした。ありがとうございました。 (バスB:秋田市・長野県上田市・埼玉県富士見市・埼玉県和光市からの参加がありました。また「野花南」のお二人は札幌からの参加です。) 馬頭琴は「スーホの白い馬」で語られているすばらしい楽器で、初めて演奏を聴きました。予想以上にすばらしく、実りの秋の棚田をバックにそれはそれはすばらしく、この夏モンゴルの旅を計画していて「ホーミー」も現地でと思っていました。たまらなく素敵な野外コンサートでした。 そして長谷山邸での番楽も、かつて見たそれの中でも格調高く色彩も豊かでカラフルな衣装で素敵でした。かつて私達の勉強会でここを訪れたときは、婦人会の皆様のお手製のお弁当をごちそうになり、今でも語り草になる程、地産地消のそれは味わいのある品揃えでした。 私事ですが、この数日とても忙しい日続きで、やっと今日解放され、再び私の土地に戻れた1日をこんなに素敵な時間で埋めることが出来て、スタッフの皆様に心より感謝申し上げます。どうぞ羽後町を、今後も秋田にもこんなすばらしい夢のある町があることをみんなにお見せ下さい。およばずながら、私の口から友達の方々に迎地礼賛を発していきたいと思います。 <「野花南」のお二人からのメッセージです> |
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| バスCの皆さん・・・地元のガイドは、羽後町文化財保護協会会員 佐藤和夫さん、元秋田県自然保護指導員 大日向貞英さんでした。ありがとうございました。 (バスC:大仙市・横手市・湯沢市・羽後町・美郷町・十文字町・岩手県花巻市からの参加がありました) |
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| 地元現地スタッフの皆さん・・・現地スタッフ34名、地元説明者8名、仙道番楽13名、地産地消ランチ5名、西馬音内盆踊り2名、その他直売参加7団体、合計約80名にも及んだ。一般参加者約100名に対して地元関係者80名は「多過ぎる」とか、「がんばり過ぎ」との意見もあったが、地元の人たちにも我が村の「自然、人、文化」の素晴らしさを再認識してもらうことも、今回の現地見学会の大きな狙いだった。今後は、地元の素晴らしい地域資源「自然、人、文化」をつなげて、「屋根のないふるさと博物館」といった新たな地域づくりを期待したい。
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| 参考文献 |
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取材 ・ 編集 |
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