平成14年11月10日(日)に八竜町民体育館において、八竜町ミュージカル実行委員会が主催、八竜町、八竜町教育委員会、八竜町芸術文化協会など多数の後援で、八竜町民ら手作りによるミュージカル「うたせ舟物語」が上演されました。



 例年より一足早い初雪となった秋田。八竜町もこの日小雪舞う曇天空の中にもかかわらず、開場の午後1時半を待たずに小走りで会場へ詰めかける町民で、駐車場は早くも満車状態となっていた。  館内に入ると受付では八竜町ミュージカル実行委員会の方々が笑顔で出迎えてくれ、開場へ入ると開演30分前にもかかわらず8割方席が埋まっており、開演を待つ観客で熱気にあふれていた。




 町民ミュージカルは、町民の文化性を高め、町の歴史や文化を掘り起こし、町民同士の絆を深めようという目的で3年に一度開催されています。
 平成7年に第1回「八竜物語」を上演し、平成11年には実行委員会を組織し第2回「蓮沼物語」を披露しました。同年12月には実行委員会を発展的に解消して、次回上演に向けた新組織として「八竜ミュージカル21の会」を発足させました。
 実行委員会は、総務や広告など9部会に分かれ準備作業を分担しております。
 今回のミュージカルに関しては、音楽部会が実行委員会を立ち上げてからまもなく作曲にとりかかり、舞踏部会は7月から毎週金曜日、演出演技部会は8月から脚本の読み合わせ、9月から毎週木曜日に立ち稽古を始めました。
 また舞台製作部会は、”うたせ舟”について研究に研究を重ね、9月より本格的に製作に取りかかっております。
 練習は各部会ごとに行われ、全体が揃ってのリハーサルは10月末から本番当日の朝まで、計5回ほど行われました。




 左の親子は、歌手の坂本九ちゃんのおばあさんにあたる「坂本はま」役の佐藤広美さんと、お父さんにあたる「坂本寛」役の金子拓朗くん(浜口小学校1年)、右の男性は八竜町ミュージカル実行委員会の三浦正隆委員長で、開演前の会場内での一枚。  町内外から開場に詰めかけた約800人の前で開催に先立ち挨拶をする三浦委員長。
「今回のミュージカルは出演者やスタッフを合わせて約350人が関係し、町民からは衣装や道具を、また影絵を担当した劇団や合唱団、生バンド演奏などの様々な協力も得た”手作りを原則”としたミュージカルであり、八竜町の伝統や文化を皆さんに伝えたい」と観客に対し熱く語りかけました。

〜プロローグ〜
 八竜ミュージカル「うたせ舟物語」のあらすじは、干拓前の八郎湖畔を舞台に、芦崎地区にゆかりの深い坂本一家と村人との交流や、現在の八郎湖の課題でもある、人と自然との共存について描いたストーリー。
 プロローグでは、明治・大正・昭和初期の八郎湖畔の光景がスライドによって甦り、八竜町の合唱団であるコールWings(第2回目より「コールなぎさ」から名称変更)や町外有志、八竜中学校生徒等による合唱「水と緑と太陽で」と、町内保育士たちのモダンバレエで開幕です!

第1場「バス釣りブームの八郎湖」

(場面は現在)

 バス釣りで賑わう八郎湖承水路付近。ここには全国的にブームになっているバス釣りに夢中になる若者や大人たち。今日も大阪から4人の若者たちが16時間かけてここ八郎湖へやって来た。一方で網を破られたりペットボトルなどのゴミを投げ捨てる、マナーの悪い釣り客に頭を抱える町の人々がいる。
 私たちはルールを守り釣っていて、マナー違反はほんの少しの悪い人たちがやっているんだと主張する若者に対し、エビやフナなど生態系が壊れても釣り続けるのかと一歩も譲らない町の人たち。
 そんな町の大人達の子供も実はバス釣りにはまっていたりして…

 「こら!よしこ!おめ、なに”バス釣り”やってんだ!?」

第2場「日航機事故現場」

(場面は昭和60年)

 昭和60年8月12日、羽田空港を飛び立った大阪行きのJAL123便が、群馬県御巣高山の山中に墜落。乗客乗員520名が死亡し日本全国に衝撃と深い悲しみが走り、乗客の中には歌手の「坂本九」さんも…。
 合唱団による「見上げてごらん夜の星を」のレクイエムに、会場全体が生前の九ちゃん…持ち前の茶目っ気あふれていて…でも、つつましく清純な彼の姿は、あの笑顔と共に今も多くの日本人の心の中に刻み込まれているのです。

第3場「明治末期の農漁村」
(場面は明治時代)

 田植えの準備や潟漁の帰りで忙しい潟端。漁師とイサバト(魚の仲買人)が今朝の漁での漁篭を積んで交渉をしている。さて、今日の魚の値段はいくら…?
 コミカルな会話のやりとりで開場は爆笑の渦!
 さすが普段から自他共に認める芸達者揃いです。

第4場「農村の秋」
 冷たい木枯らしとともに初雪が降り始めた頃。浜口村の芦崎に幼子を連れた夫婦がやってくる。それは茨城県の霞ヶ浦・田伏からやって来た坂本一家だった…。
 坂本金吉が村人に尋ねます「ここ芦崎村は魚がいっぱい捕れて、いい所だと聞いてやって来ました…」
 坂本一家は、村人の優しい好意により一晩泊めてもらうことにしました。

第5場「活気づく漁村」

 すっかり村人と馴染んだ坂本一家。坂本さんからエビ胴による漁法を学んだ村人は、大漁を喜んで、今日も市日で有名な五城目や阿仁へ元気に売りに出かける。
 エビはたくさん捕れたがシラウオやフナ、ワカサギなどを多く捕れる方法はないものか…?
 そんな中、霞ヶ浦での帆引き舟による「帆引き網漁」を聞いた村人は、坂本さんの指導で舟の製作に取りかかる。
 「ここはいい風が吹くので、風を利用した舟の漁法がいいな…」

 「そうだ!”うたせ舟”と呼ぼう!」

第6場「八郎太郎と姥御前」
(場面は大昔)

 タケばあさんが姥御前神社で子供達を前に昔話を語り始める。
 芦崎ではなぜ鶏や卵が食べられないのか…、八郎太郎と姥御前の伝説が影絵によって語られていく…。




「八郎太郎と姥御前」

 大同年間より伝わるという伝説…地域の古老の語りや文献をもとに再構成した物語である。
 まだ、八郎潟が存在しなかった頃、大河のほとりに夫権現(おとど)と姥御前(うば)を中心とした平和な村があったが、突然おこった鶏鳴と共に、男鹿半島の大噴火がおこり、村人は悲劇に襲われる。そして跡には大きな湖(八郎潟)ができ、やがて八郎太郎の住みかとなる。
 おとど、うばは何処へ行ったのだろう…。
 やがて村人は離ればなれになった、おとどとうばの杜を造り、村の再興に励むのであった。

 この伝説により、鶏は村にとって大災害を起こした不吉な鳥として、後々にまで忌み嫌われ、昭和20年代まで、芦崎では鶏肉や鶏卵を食する人はほとんどいなかった…。




第7場「うたせ舟の完成」

(場面は再び明治時代)

 うたせ舟完成間近の村はずれの潟端。帆を縫う人、舟を造る人、竿にロープを張る人など様々である。そんな時、舟をうらやむ隣村の男達がやって来る。
「お前ら!その舟を使って潟の魚を独り占めする気だな!」
 怒りをあらわにした村人に対し、金吉は優しく応える。
「独り占めはいたしません。魚が捕れる時期を考え、決まりを作り計画的に捕れば大丈夫です。私の故郷でも10年前から決まりを作り、みんな協力して漁をしています」

「おお、そうが!分がった…俺だちも手伝うど!」

第8場「坂本家の離秋」
(場面は大正5年)

 実りの秋も終わり、木々の葉も落ちて寂しい村はずれ。坂本一家が新天地の川崎市へ越して行くこととなった…。
 村人をはじめ、近隣の村から多くの見送りの人が集まってくる。この村がよくなったのは坂本さんのお陰ですという村人に対し、金吉さんが別れの言葉を捧げます。

「うたせ舟と八郎湖の恵みで皆さんが幸せになりますように」

第9場「時代は流れて」
 
 明治から大正、大正から昭和へと流れる時代の移り変わりを語り手によって回想される。

 「第一次大戦中は、八郎湖の恵みに助けられた」

 「第二次大戦後は食糧難が叫ばれ、国営八郎潟干拓事業で大潟村が生まれた」

 「金吉さんの息子の寛くんは、その後、幼なじみの芦崎のヤエさんをお嫁さんにもらった」

第10場「九ちゃんとの出会い」

(場面は昭和45年)

 田植え姿の町民や子供達が、ぎっしり詰まった芦崎分校体操場。
芦崎分校に通っていた坂本寛さんの息子は歌手となり、みんなに「九ちゃん」と呼ばれる全国スターとなった。
 大潟村からの全国放送で田植え風景撮影のメインゲストで来ていた九ちゃんは、子供達の前で思い出の曲「上を向いて歩こう」「幸せなら手をたたこう」を歌い始める。
 みんなの後ろには九ちゃんから分校90周年記念に贈られた幕が張られている。
 そして「残された潟の自然を大切にして下さい…さようなら…」
 最後に「涙くんさようなら」を歌い皆に別れを告げた。

 九ちゃん役には、八竜町芦崎在住で大潟村役場職員の「伊東寛さん」が、九ちゃんと縁があり初参加。ミュージカルについては全く初心者なので、音楽部会の方々から基本的な発声練習を教わったそうです。

第11「変わりゆく湖岸の村」
 昔とすっかり変わってしまった八郎潟。うたせ舟漁法を広げた、祖父・金吉。芦崎分校で育った父・寛。日航機事故によりこの世を去った坂本九。潟に住む魚たちが消え、うたせ舟はどこへ行ったのか…。たくさんの車にテントが点在している…現在の八郎湖。彼らは天国で一体どんな思いでわが町を見ているのだろうか…。

九ちゃん
「素敵な建物だなあ…温泉施設『ゆめろん』?」

「歌謡ショーがあったら僕を呼んでよ!」

「…え? ブラックバス? なに?それ?…」

 写真は川辺信康さんの写真集「おおがたの記憶」の中から、うたせ舟の一枚


〜エピローグ〜
 バス釣りで賑わう八郎湖承水路付近で、釣り人・漁師・農民・高校生達が腕を組んで話している…。
「ブラックバスより凶暴なブルーギルという外来種も入ってきた」
「八郎湖だけではなく、湖に入ってくる川にも汚い水を流さないようにしなければ」
「一度壊れた自然は戻しにくいものだ」
「坂本さんの時代に戻れなくとも、今からでも八郎湖をみんなできれいにしようよ」

「この、昔から慣れ親しんできた八郎湖を、子供や孫たちのためにも美しく残していこう!」






 今回のミュージカルは昔から町民が親しんできた八郎潟が、干拓と共に農業や漁業・自然環境の変化に伴い、潟の風物詩や思い出が忘れられようとしているのを危惧し、明治の末に茨城から移住してきた坂本さん一家との出会いや、最近の都会から来町する釣り人との関わり合いを通して、新しい時代に生きる私たちに対し、自然との共生のあり方を問いかけています。

 今世の中では時代の変化により貴重な動植物の保全が叫ばれていますが、私たちは貴重種自身を守るために貴重種を保護しているのではなく、貴重種がいればそこに在来種もいて餌もあって、無数のネットワークが築かれている。貴重種はそのネットワークが健在であることの象徴であり、私たちはその意味を充分理解し、生態系を守っていかなければなりません。


取材・編集:秋田県農林水産部農地整備課