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 管理人:秋田県農林水産部農山村振興課長 黒子 高夫

 2002年4月1日より、黒子高夫課長が「美しき水の郷あきた」の管理人となります。新管理人のもと、ホームページの取材から編集まで自在にこなせる人材の育成と内容の充実を図りたいと思っています。

 2002年の主なテーマは、農林一体のむらづくりや馬の文化、ワラ細工、冬の湯治場巡りをはじめ、環境に配慮した農業農村整備、秋田名水紀行、祭り・伝統文化、水利組織の専門家としてエジプトに派遣された工藤 淳主任の続エジプト通信など幅広い情報をお伝えしていきたいと思っています。
(菅原徳蔵記)


管理人あいさつ(2002年4月〜 )

世界の皆さん、こんにちは。
 私たちは、秋田県における「農業農村」の情報を、積極的に世界に向けて発信しています。また、題材も農業農村という堅苦しいものだけでなく、農業で培われた文化や伝統など幅広く取り扱い、より親しみやすいものを作っていきたいと思っています。
 ホームページの作成に当たっては、県内の農業農村整備事業を担当する職員が、「現地取材」を行うことを基本としていますので、他では得られない情報が満載されています。

(秋田県の位置)
 このホームページを運営している秋田県は、東京の真北450kmに位置し、西は日本海に面しています。日本海を挟んで韓国、中国との交流も盛んで、2001年10月から秋田〜ソウル便が週3便運航しています。県庁所在地の秋田市は北緯40度付近に位置し、北京・マドリード・ニューヨーク・サンフランシスコと同じです。

(秋田県の特徴)
 秋田県は農家人口率が全国一の27%で、主に米の生産県です。生産量は北海道・新潟に次いで全国三位で、主に「あきたこまち」を作っています。最近では新品種の「めんこいな」も徐々に生産量が増えてきており、皆さんの食卓にも、もうすぐ上がるものと期待しています。また、米の生産県ということもあり、成人1人当たりの日本酒の消費量も新潟に次ぎ2位です。その外、持ち家率が全国2番の79%と高いことも特徴です。

(経済・雇用対策)
 日本経済が不況の中、秋田県では当面の最優先課題として、経済・雇用対策に取り組んでいます。長引く経済不況を脱するためには、対症療法的な施策だけでは不十分であり、構造的な課題の解決が重要と考えています。
 「農家人口率が全国一」ということが示しているとおり、秋田県では従来、農業により多くの雇用を確保してきました。しかし、農業の機械化が進み、ほ場整備事業を中心とした農業農村整備事業の推進により労働時間の短縮がなされた結果、生産コストは低減したものの、「稲作農業における作業量の減少」という新たな課題も生じました。
 そこで、秋田県としては稲作を中心とした農業から、多くの人手を必要とする野菜生産などの集約型農業を行う大規模野菜団地の設置や大豆の土地利用型農業の推進に助成するなど、新たな農業分野への転換も図りながら、雇用の場を確保しようと努めています。

(機構改革)
 秋田県ではこれまで、農政部と林務部がそれぞれ農業水産業、林業を担当してきました。しかし、本県における農林業の担い手の減少・高齢化、生産物価格の低迷、更には、農家9万戸と林家6万戸の多くは共通の農家林家であるという現実を踏まえ、6年越しの議論の末、秋田県の農林業振興と農山村地域の活性化のために2部が統合し、平成14年度から「農林水産部」としてスタートしました。

(農山村振興課)
 このホームページを管理している農山村振興課は、「中山間地域の農林業振興と地域活性化に関するソフト事業、定住環境整備の一体的な推進」を業務とし、農政と林政が連携し施策を実行していく”農林統合の目玉”の課として生まれました。具体的には、下記のような仕事をしています。
◇農山村の地域産業の育成(新山村振興等農林漁業特別対策、アグリビジネス支援など)
◇農山村の生活基盤の整備(道路、水路、農村の下水道、防災安全施設、公園、集会所など)
◇農山村と都市との交流(グリンツーリズム、子供達の心を育む農村体験教育推進プランなど)
◇中山間地域対策(中山間地域等直接支払交付金、森林整備地域活動支援交付金など)
◇地籍調査事業

(おわりに)
 ホームページは、新聞やテレビ等のような制作者側から視聴者への一方的な情報伝達メディアと異なり、メールや掲示板などにより「相互の情報交換」も可能ですし、修正も簡単にできます。今後とも積極的に情報提供を行っていきますので、もしお気づきの点がありましたら、お知らせください。




 初代管理人:秋田県農政部参事兼農地計画課長 八木 正広

 管理人は、西アフリカのサヘル地域で3年間砂漠化防止に取り組んだり、4年弱フィリピン国農地改革省にアドバイザーとして勤務するなど、危機に瀕する世界の水と食料の最前線で奮闘してきた。秋田県には、1999年4月に農地計画課長として赴任。秋田では、国際的な視野で農業農村を語れる数少ない国際派である。出身は、富山県。(菅原徳蔵記)

初代管理人あいさつ(2000年5月〜2002年3月)

 21世紀を迎えましたが、私たちの地球は、果たしてどのような姿になっていくのでしょうか?
 発展途上国の人口爆発に伴う地球規模での食料危機が発生すると言う人もいれば、発展途上国も先進国と同様人口増加率は低減しつつあり世界人口は言われているような増加はしないと言う人もいます。

 地下水を汲み上げて灌漑しているインド、中国、米国の穀倉地帯では、地下水位が回復せず、近い将来地下水枯渇によって食料生産が困難になると言う人もいれば、その問題は以前から指摘されてきたことだが、それらの地域で食料生産が困難になったなどという話は聞いたことがなく不安を煽っているだけだと言う人もいます。

 過耕作や塩分集積による農地の土壌劣化が地球規模で進んでおり、今後世界の穀物生産力は減少の一途をたどると言う人もいれば、遺伝子組み替え技術の進歩はめざましく、塩水や少量の水での作物生産が可能となるので、食料不足など起こらないと言う人もいます。

 1950年からの50年間の世の中の進歩、変化は本当に急激でしたが、現在、変化の加速度はますます大きくなっています。この先、50年と言わず20年、10年でも正確に見通すことができる人はまずいないだろうと思います。何が起こるかわからないし、何が起こっても不思議ではないと思います。
しかし、私たちには不透明な新世紀を迎え、確実な拠り所となってくれる財産があります。それは水田です。

 水田農業は土壌劣化と全く無縁の農業です。1日15〜20mmの減水深(稲が吸収する水量と土中浸透する水量の合計水量を水深で表したもので、毎日この水深分の用水補給が必要)が土中の不要な物質を地下に洗い流し、新たな養分を田に供給するからです。そのうえ、麦、豆、とうもろこし、ヒエなど他の穀物と違い気象条件が許す限り1年に2回でも3回でも収穫が可能で、単位収量も高い極めて優れた農業なのです。

 水田の命ともいえる水は、ダム、頭首工、用水路などの灌漑施設によって、遙か上流の水源から延々と運ばれ、季別の必要量に応じて適切に田に配られています。これら灌漑施設の機能が低下すれば水田の生産力低下に直結しますが、日本では、公費と受益農家の負担金を上手く組み合わせた施設の補修・更新制度と、古くは江戸時代に起源を遡る土地改良区(受益農家で構成する灌漑施設管理組織)による日々の維持管理作業のおかげで適切に機能維持が図られています。水田に水が来る、一見当たり前のようですが、これを持続するためには資金、組織の両輪が不可欠であり、それは決して容易なことではないのです。

 日本を含む水田農業国は、幸いにも主食を水田に委ねているが故に地球規模で進行しつつある土壌劣化と無縁でいられ、その水田農業国の中でも日本は、灌漑施設の機能維持を理想的に実現している点で特筆すべき国なのです。

 このホームページをご覧になっておわかりいただけるように、私たち秋田県の歴史は、水田農業と一体であり、衣も、食も、住も、文化も水田農業の中で培われてきたものです。21世紀を迎え、水田農業が作った秋田県、水田農業が作った日本を再認識していただけたら幸いです。

秋田の“竿燈祭り”は日本の象徴だ!
秋田県農政部参事兼農地計画課長 八木 正広
 秋田に来て日本には象徴が二つあることを知った。ひとつは、天皇。もうひとつは秋田の“竿燈祭り”である。

 “竿燈祭り”(毎年8月3日〜6日)は、上部に46個の提灯をぶら下げた長さ12mの竹竿を“差し手”と呼ばれる担ぎ手が、バランスを取りながら額や腰や掌の上に立たせるというものだ。
  毎年約250本の竿燈が立つ。観光客は、夜空に向けて立ち並ぶ提灯群の壮麗さと差し手の妙技に感動するだけかもしれないが、竿燈がたわわに稔った稲を表していることを知れば、感動は全く違ってくる。都市化してしまった秋田市のど真ん中に夏の夜の4日間だけ巨大な稲穂の水田が出現するのだ。日本中に五穀豊穣を祈る祭りは数あれど、これほど直接的に稲を讃える祭りは他に例がない。

 たわわに稔ってユラユラ揺れる250本の稲穂の群は、秋の稔りの喜びをいっぱいに感じさせてくれる。しかし、ふと目の前の一本の稲穂に目をやると、根元で一人の人間がその稲穂を支えている。重さ60kgにもなる竿燈を必死の形相で支えている差し手は、稲作農民の姿そのものだ。

 稲作農民がどんなに一生懸命支えても稲穂は倒れることがある。ちょっとしたことでバランスを崩して倒れる竿燈は、いつ来るか知れぬ干ばつ、台風、洪水、冷害に翻弄されて倒れる稲穂そのものだ。

 しかし、稲穂が倒れそうになると、差し手の回りの者が寄ってきて、倒れないようみんなで稲穂を支える。これも危急のときには助け合う農村社会の姿そのものだ。

 また、技量を磨いた差し手は、竹竿を継ぎ足してより高い稲穂を立たせることができるが、これも努力して技量を磨いた農民が、より大きな収量を上げることを表している。

 “竿燈祭り”は、「日本人とは何か?」、「日本とは何か?」の答えを、見事に凝縮した形で象徴しているのだ。竿燈祭りを見れば、「日本はこれを土台に2000年間発展してきたのだ。そして、これから先の不透明な時代もこれを拠り所にして生きていくのだ。」という想いが熱い感動となって胸にわき上がってくるのだ。

 「“竿燈祭り”は、参加型ではないからつまらない。」とか「青森の“ねぶた祭り”などに比べてダイナミックさが欠ける。」とかいう意見を耳にするが、“竿燈祭り”は単なる祭りではなく日本の象徴であり、「日本人とは何か?」、「日本とは何か?」、そして日本の来し方、行く末に想いを馳せ、一人黙って感動にむせぶ祭りだと思うのである。