マタギというのは、クマなどの大型獣を捕獲する技術と組織をもち、狩猟を生業としてきた人をいう。中でも秋田県の仙北や阿仁地方には、マタギの村が多かった。彼らは、クマ狩りなどの集団猟を得意とし、晩秋から早春にかけて山に入り、拠点となる場所に設けた簡単な狩り小屋に泊まり込んで、クマ、カモシカなどの大型獣を捕った。
 かつては、旅マタギとして他国、他領の山に行くことも多かった。旅先で養子などに入り、その土地にマタギの技術を伝えたという例も少なくない。

「峻拒な大自然--ここに妥協を許さぬ男の群れがいる。
 厳粛な戒律と大自然の掟に生きる孤高の民--マタギ・・・

 東北地方のど真ん中、背骨状に突っ走る雄大な奥羽山脈・・・・
 そこは、吹きすさぶ白色の季が、緑したたる草木の季が
 まがうことなく交互に、去来する・・・・
 それゆえ、様々な動物を育む楽園の地でもある。
 
 その山脈の襞深く、熊掌を求めて分け入る゛狩人の集団゛があった。
 ゛狩る゛という行為は、太古の昔より、男に課せられた
 重要なる本能のひとつであった。
 この勇壮な男の゛本能゛の一団をマタギと呼んだ。」
 (「マタギ」矢口高雄著、双葉社より)
 
マタギの里のシンボル・森吉山(1454m)。阿仁マタギは、奥羽山脈と出羽丘陵に囲まれた奥地の旧大阿仁村で盛んだった。 大正時代のマタギ衆。戦前まで、数百人のマタギがひしめいていた旧大阿仁村。山形、福島、新潟、長野の山まで遠征していた。阿仁町は、1年の5ケ月を深い雪に閉ざされ、外界と隔絶された山また山の奥地で起こり、受け継がれてきた。
 マタギ集落を囲む山々は、ブナの原生林が圧倒的に多く、山頂の名前もブナ森、猿倉森、六左衛門森、高崎森、高場森、白子森など森の付く名前が圧倒的に多い。これは、山頂までブナの森に覆われていたことを示している。世界遺産に指定された白神山地と同じく、森吉山東麓のブナ原生林では、国の天然記念物・クマゲラも確認されている。かつては、熊をはじめとした野生動物たちの楽園でもあった。農業だけでは食べていけない山間奥地ではあるが、ブナの恵みにあふれた豊かな自然があったのである。ここに、マタギという特異な文化が生まれ、継承されてきたのもうなづける。
 マタギ発祥の地と言われる根子集落は、かつて、萱草方面へ抜ける断崖の小道を迂回していた。こんな山奥に村があるとは、と驚くような場所に位置している。戸数89戸、萱葺き屋根が軒を接して並び、集落内の通路は迷路のようだと言われる。左の写真は、昭和50年、根子峠を約800mのトンネル(過疎基幹農道)が完成し、交通の便は飛躍的に向上した。
マタギの守り神、山神様を祭る神社。狩りに出かける前日は、全員で参拝。お神酒をあげ、豊猟と無事を祈った後、お神酒をシカリ(マタギのリーダー)から順番に飲み、シカリの家に帰って酒盛りをした。
シカリの家に、代々伝えられてきた「山達根本之巻」(阿仁町打当、鈴木松治所蔵)。この巻物は、マタギの由来と権威を記した秘伝書で、昔は狩りで山に入るときは必ず身につけた。この巻物は、神聖なものであり、家族にも見せてはならなかったという。
厳しい風雪に耐える村の暮らし。雪は村に重くのしかかる。人々は避けようにも避けがたい雪とともに暮らす宿命を背負ってきた。 阿仁町の春の訪れは遅い。4月の山々は深い雪に閉ざされ、樹木の芽はまだ堅く眠っている。マタギの春は、クマの巻き狩りの季節である。冬眠から醒めたばかりのクマを、凍てつく山と渓谷に追う。
阿仁町打当のシカリであった鈴木辰五郎氏。マタギで生計を立てた最後の人である。 クマの胆(い)。松橋吉太郎氏が秋のクマ狩りで仕留めた二頭のクマから切り取った胆のうを、ストーブの上に吊るして乾燥させたもの。生のときの1/4ほどの大きさ。漢方薬の中では、最高級品。効能は慢性の胃腸病、食中毒、疲労回復、二日酔いなど、万病に効く薬として取り引きされ、昔からマタギの貴重な収入源だった。
阿仁町の代表的なマタギ集落は、根子、打当、比立内である。上の写真は、比立内マタギの集落。一番奥に見える山が白子森(1179m)で、この山麓一帯を猟場としたきた。 山深い奥阿仁地域の中でも、最も奥地にある打当集落。打当マタギは黒様森周辺を縄張りとしていた。狩猟を生業とする伝統的なマタギは姿を消してしまったが、山の恵みを受けて暮らす人々のしきたりや信仰は失われることなく、今に受け継がれている。