生活様式の近代化は、マタギの装備を大きく変えた。戦前までの服装や猟具などは、明治以前から引き継いだものだった。古くは、江戸時代にタテから火縄銃に、明治期に火縄銃から村田銃へと代わり、やがてライフルが主役になった。火縄銃とライフルでは、射程距離に何倍もの開きがある。
 熊を恐れずに、なるべく引き寄せ、一発で急所を打ち抜く。もし外れた場合は、タテで心臓を突き刺す、といった話は、もはや過去のものとなった。

 マタギは、もともと東北地方の山間に暮らす狩人である。
 マタギが伝統的な狩猟法を守り、それを生業として続けてきたのは、山村に害をなす鳥獣を狩る技術を持っていたからであり、その獲物がマタギにとっても里人にとっても有用であったからである。「熊の胆(い)」に代表される薬品としての価値である。マタギの伝統的な医薬についての知識は、非常に奥深いものがある。

 山に生きる−マタギは、農と狩りが生活の糧であったが、もはや狩りは生業として成り立たなくなった。そうした中で失われていった習慣、しきたりも多い。マタギ言葉という独特の言葉も、今ではその言葉を伝えている者は、古老のみとなった。ここでは、昔の狩りの衣装や道具など、滅びゆくマタギ文化を紹介する。 



現代のハンターと昔のマタギ
昔のマタギ装着具。
・タテ…クマ槍のこと。銃が普及してからも長く携帯されていた。クワ、イタヤ、ナラなどの木の柄に穂先を取り付けたもの。
・コナガイ…イタヤの木で作った大きなヘラ。かつて、カモシカ猟は銃を使わず、これで殴って獲ったといわれる。
・ダオボッチ…ふろしきのような布。三角形に2つ折りにして頭巾としてかぶる。その上から防寒のためアマブタ(笠)をかぶる。
・キガワ…防寒用に着たカモシカの一枚皮。雨や雪にも強く、野ウサギなどを追う冬マタギには欠かせない。
・マタギバカマ…麻の単衣の山ハカマ。ももひきの類ははかずに素肌につける。腰の部分は麻ヒモで絞るようになっている。昔のニッカズボンと言える。
・ハバキ…すねあて。ヒモは巻きつけて挟むだけで結ばない。結ぶと雪で濡れたときに解きにくく、はずすときに不便である。
・アグドマギ…ハバキの下にはく靴下のようなもの。木綿か麻で作る。
・ツマゴ…ゲタの爪皮に似たツマゴをワラでつくり、これをワラジにつけたもの。ヒモはハバキ同様結ばない。
火縄銃は、明治中期頃まで使われた。クマは5〜10mまで引き寄せてから撃つ。藩政時代には、少数だが、鉄砲が猟銃として使用されたのは確かだ。マタギの古老の話では、マタギの一人が一人扶持(1日5合の玄米)の士分格に取り立てられ、久保田城に鉄砲を持って出仕したり、鉄砲を習ったという。 背の毛皮とトリ木柴を材料にし、牛皮を用いたカンジキ。
巻物入れ。代々マタギの家には「山達根本之巻」という巻物が伝えられ、神棚などに秘蔵されている。昔、狩りに出掛けるときは必ず身に付けていた。 阿仁マタギが頼りにしてきたフクロナガサ。ナガサとは、山刀のことで、今でもマタギの魂とされ、最も大切な道具だ。先が刀のように反り、切れ味が鋭い。(西根打刃物製作所、西根稔さん製作)。袋ナガサに棒を差し込めば、槍(ヤリ)になるスグレモノ。
旧式の散弾銃の散弾。昔は、囲炉裏で鉛を溶かしてから、丸い穴のあいた鉄板を上下にあわせ、このような散弾を作った。 クマの胆を乾燥させるときに用いた小板。クマの胆のうの上の部分を、ヒモで固く結んでから切り取る。これをストーブの上に吊るして5日から1週間乾燥させる。
クマの胆の仕上げに使う型板。穴が55個ある。乾燥させた胆のうを、ぬるま湯に入れてよくもみ、型板に挟んで形を整え、再び1週間ほど乾燥させる。出来上がった胆の重さは、生の時の1/4。 全国に名が知られている阿仁マタギには、伝説的な名人の話が幾つも伝えられている。幕末から明治初期に活躍した「重ね撃ち竹五郎」、どんな獲物も一発で倒した「一発佐市」、足がべらぼうに速い「疾風の長十郎」、クマと格闘した「背負い投げ西松」など、昔をしのぶ名人の話は尽きない。