秋田名水紀行 Takinokashira spring water (秋田県男鹿市)
 寒風山(標高355m)の北東麓に「滝の頭」と呼ばれる湧水群と清水を満々とたたえる沼がある。名水とは言っても、他の名水と大きく異なる点は、寒風山麓の総湧出量の7割・一日あたり約2万5千トンという膨大な湧水量にある。

 滝の頭湧水は、古くから農業用水や飲料水として利用されてきただけに、天からの授かりものとして崇められ、敬われてきた。上の写真は、寒風山一帯の伏流水が、岩穴から轟音を発して、辺り一面から湧出している滝の頭湧水のアップ。一帯の岩や杉の根元に生えた苔は、一年中切れることのない清冽な水であることを証明している。
 男鹿市脇本の寒風山に向かう道路を走る。最初の点滅信号を右に入り、五里合方面に向かうと男鹿市の浄水場が左手にある。ここに車を止め、管理人に許可を得てから遊歩道を300mほど歩けば、滝の頭湧水だ。(写真は、男鹿市浄水場全景、奥が道路。)
 滝の頭円形分水工・・・「滝の頭」と呼ばれる沼から150mほど下流にある。円の中心から噴出す水は、外側の穴から均等に流れ出している。現在は3方向に分水されている。男鹿市五里合、若美町渡部の農業用水と男鹿市上水道へ。
 円形分水工の穴から流れ出す水は冷たく、清冽そのもの。昭和30年代に設置されたものだが、飛沫を浴びるコンクリートの周囲は苔生し、清冽な水の歴史を感じさせてくれる。
 円形分水工を過ぎると、杉が林立する遊歩道がある。歩くにつれて冷たい空気が漂い、だんだん杉の根元も苔生してくる。
 遊歩道を少し歩くと、突然杉の巨木の向こうにコバルトグリーンの湖面が姿を現す。滝の頭湧水を湛えた水は、底がはっきり見えるほど透明度が高い。
 「滝の頭」と呼ばれる沼の水が透明な理由は、地表から流入する水量より湧水量が圧倒的に多いことに加え、湖水の体積が小さく、水の交換が速やかに行われているからである。
 湧水の沼周辺に鎮座する杉の巨木。
 苔生した杉の大木沿いに遊歩道を歩くと、まもなく滝の頭湧水だ。次第に神秘的な雰囲気が漂いはじめる。
 寒風山の七度にわたる噴火によって積み重なった安山岩を苔が覆い、老杉の林立する根元から轟音を発して湧き出している。清冽そのもの、心が洗われるような景観が広がっている。
 ここで名水を飲む。年中水温は12度と冷たく、真夏でも冷気が漂っている。涼むには最高の場所だ。冬になると、逆に一面水蒸気を上げ、積雪も大変少ないという。
 山地の谷川沿いなどに多く自生するヤマブキ。  清冽な水を好むミズ(ウワバミソウ)
 滝の頭湧水のメカニズム・・・寒風山は溶岩流からなる火山で、滝の頭は溶岩流の末端部に位置している。この溶岩には、無数の割れ目が発達。雨が降れば、割れ目に滲みこみ、溶岩の基盤となっている水を通さない堆積岩層につきあたると伏流水になって、溶岩流の末端部である滝の頭から湧出する。
 湧き口には、今木神社という不動尊が祀られ、三吉神、太平山碑などの石碑に囲まれ、天からの授かり物として、地域の人たちに崇められ、敬われてきたことがわかる。今木神社は、男鹿市鮪川の村の集落が主に祭り、祭礼は5月28日。

 今木神社の脇にある溜りには、オナンショという山椒魚が棲み、これを捕らえて生きたまま飲み込むと、胃を掃除してくれるものとして、昔はよく参拝者が飲み込んだという。
 滝の頭から湧出した水は、一部男鹿市五里合地域の農業用水として利用されている。地元の自然石を使い、周りの景観と調和した水路に注目。

 現在、若美町渡部の農業用水としても利用されているが、今から170年ほど前は「鳥居長根」と呼ばれる原野だった。開発を妨げた最大の原因は、用水を確保するという難題だった。この膨大な湧水に目をつけ、鳥居長根の開発と新しい村・渡部村の建設に着手したのが、秋田藩第一の開拓事業家と言われた渡部斧松であった。
 左:渡部斧松居宅跡(若美町文化財)。右:渡部村を拓いた斧松を祀る渡部神社(若美町)。

 渡部斧松は、山本郡桧山の生まれだが、1820年、27歳の時伯父惣治とともに払戸村鳥居長根の開墾に着手。水源を滝の頭湧水に求め、水路の掘削に当たった。家財の全てを投じ、穴堰の工事を進めたが、土質はほとんど砂質のため、何度も崩れ落ちた。補修に係わって六名の犠牲者が出たほどの難工事だった。この殉難慰霊碑が、昭和五十年、斧松を祀る渡部神社の参道口に建てられた。

 1824年、水源地から麓の樽沢村(現・男鹿市樽沢)まで、1974mを開通させた。さらに工事を進め、約二里の堰を完了させ、長根谷地へ通水を果たしたのは1827年のことだった。続いて新しい村の建設にとりかかる。開墾の実効をあげるため、入植を前提として近郷から農民を募った。引越百姓といわれる。1826年、藩は新村建設を許可し、斧松にちなんで「渡部村」と命名した。
 渡部神社前の石碑には「農聖斧松翁」(右の写真)と刻まれている。

 村に市場、馬市などを開設するとともに、自ら筆を取ったされる「村法」を定めた。その趣旨は、共存共栄、相互扶助の精神を柱に、田地の小作および売買の制限、戸数の制限(150戸)、風紀、救荒備蓄、公休日(年間60日余り)等に及び、22カ条からなる。1856年建立の石碑が、渡部家前にたっている。
 滝の頭から取水した水は、樽沢集落内を流れ、若美町渡部地区にかんがいされている。樽沢集落の家々には、洗い場(右の写真)が設けられ、生活用水としても利用されてきた。斧松が手がけた長根堰も、時代とともにコンクリート水路に姿を変え、地元の人々の記憶は風化しつつある。若美町では、斧松など郷土の偉人の業績を後世に伝えようと、歴史学習交流館の建設やユニークな漫画人物伝を刊行している。
参考文献
男鹿市史 上・下巻
若美町史
男鹿市の水道 特集「滝の頭水源」
「水土を拓いた人びと」(農文協、農業土木学会編) 

取材編集:秋田総合農林事務所土地改良課