菅江真澄と奈良家 旧奈良家住宅 関連ページ 漂白の旅人・菅江真澄

 文化8年(1811)、遠く秋田市金足・男潟ため池の片岸を、寂しい旅人が一人歩いていた。漂白の旅人・菅江真澄(当時58歳)であった。真澄は、男潟の辺にある奈良家9代目当主喜兵衛を訪ねた。

 菅江真澄(1754〜1829)・・・生涯妻子をもたず、家も構えず、遠く奥州を旅しながら膨大な著作を残した。生涯を賭けた膨大な見聞や体験、観察などを、日記や地誌、写生帳、随筆にまとめた。そのうち、秋田藩校明徳館に納められた「菅江真澄遊覧記」89冊は、重要文化財として知られている。民俗学の創始者・柳田国男は、菅江真澄を高く評価し、自分の学問の先覚のように敬愛した。

 (取材は、2002年1月31日。秋田市では降雪量30cmに達し、今冬最高の大雪を記録した。上の写真は、秋田市金足男潟ため池付近の松林に降り続く雪景色。)
 菅江真澄は三河国(愛知県)の生まれ。真澄30歳の時、長野へ旅立ち、以降北へと針路をとり、新潟、山形、秋田、青森、岩手、宮城、北海道をめぐり、48歳の時に再び秋田にやってきた。その後28年間、この世を去るまで秋田を旅し、多くの著作を残した。

 真澄は、なぜ北へ旅をしたのか。真澄の旅の目的は?・・・一説によると、真澄のスポンサーは植田義方(よしえ)という大金持ちで、真澄に歌枕の探訪記を記させ、現代風に言えば、観光パンフ、旅行ガイドを発行させるためだったという。ところが、各地を訪ね歩いているうちに真澄の考え方が大きく変わった。「真澄の歩いた道は大変な道であった」と、研究者たちは口をそろえて言う。秋田の厳冬期、腰まで雪に埋もれながら、ひたすら歩き、ひたすら記録し続ける。歌枕より、雪国の暮らしぶりを記録に残すことが自分の務めだと、考え方を180度変えたと推測されている。

 「雪の出羽路」「月の出羽路」「花の出羽路」と名づけられた三部作は、長年にわたる旅で鍛え上げられてきた方法論を集大成したものであった。真澄の地誌の特色は、美しく優しい挿画とともに、地域の文化や伝説などにも視線を注いだところにある。この地誌編纂は、奈良家に滞在中、秋田藩校明徳館の学者・那珂通博(なかみちひろ)との運命的な出会いから始まった。
 旧奈良家住宅は、入口が二つあった。当時、身分のある客は、上手中門(写真左)から入り、身分の低い者は、日常の出入り口となっていた下手中門(写真中、看板のある入口)から入ったという。
 真澄は、身分のない漂泊者であったから、この下手中門から入ったと言われている。
 下手中門から入ると広い土間がある。真澄は、ここで草鞋を脱ぎ、足をすすいでから、奥左の「おえ」と呼ばれる接客用の部屋にあがった。真澄の伝承によれば、奈良家に滞在中、上座敷と呼ばれる奥六畳の間を書斎として使っていたという。当主は、身分のない漂泊者であった真澄を大変手厚くもてなしていたことが伺える。
 上座敷・・・藩主や奉行などの上客のための部屋。真澄は、ここを書斎として使った。ここに、秋田藩校明徳館の学者であった那珂通博(なかみちひろ)がやってくる。那珂は、領内の様子を書いた文章に自信がなく、菅江真澄に密かに添削を頼んだほど高い評価をしている。真澄は、秋田藩にとって巨人であった。奈良家に滞在中、真澄は、藩主佐竹義和にはじめて会い、出羽六郡の地誌を作ってほしいと頼まれる。
 「秋田県散歩」(司馬遼太郎著、朝日文庫)には、次のように記されている。
 「真澄は半生、権力者というものに近づかなかった。しかし、佐竹義和という殿様だけは、例外だった。・・・本来、真澄は旅に死ぬことを覚悟していただろう。死ねば、彼の書いたものは当然散逸する。義和に会うことによって、それらが良質の筆写本となり、後世に残ることになった。とすれば、この奈良家で那珂通博に出会ったことは、世界の民俗学上の一事件といっていい。」

 菅江真澄墓碑(秋田市寺内)

 文政12年(1829)、真澄は「花の出羽路・仙北郡」25巻まで草稿を書き終えたが、角館で病み、知人宅に運ばれて息をひきとった。76歳。遺骸は、角館から久保田に移され、秋田郡寺内村の共同墓地に埋葬された。天保3年(1831)、真澄3回忌に墓碑が建立された。晩年真澄に対して援助・協力をした久保田の国学者・鳥屋長秋の長歌が刻印されている。

 秋田県立博物館発行の「真澄紀行」(1500円)には、菅江真澄の魅力を5つに要約している。

@真澄の著作には、近世の庶民のようすが、わかりやすい絵をそえて、はば広く記されているとともに、歴史や文化を知る上で数多くのヒントを含んでいる。

A著作内容が豊富でさまざまな専門分野が関わり合える、学問上の魅力と可能性をもっている。

B真澄の旅の足跡が、現在も各地に確認でき、多くの人びととの交流のようすを知ることができる。

C人生の大半を旅とその記録に費やし、一貫して観察者としての姿勢をつらぬき、学び続ける者としての謙虚さを失わなかった生き方に魅力がある。

D著作のほとんどが秋田にあり、学ぶ環境が整っている。 
 秋田県立博物館菅江真澄資料センター展示室(無料)

 菅江真澄資料センターは、内容が充実しており、真澄の全てを知ることができる。展示資料は、学びのはじめ、信濃の旅、陸奥の旅、蝦夷地の旅、下北・津軽の旅、地誌を編む、ものを記録する、くらしを描く、旅のやどり、旅のおわり・・・。展示室の少し奥まったところには、検索閲覧室。ここでは、真澄の全著作をデジタル化したCDをパソコンで簡単に検索、閲覧できる。
参考文献
「真澄紀行」(秋田県立博物館
パンフレット「菅江真澄資料センター」(秋田県立博物館
パンフレット「旧奈良家住宅」(秋田県立博物館
「秋田県散歩」(司馬遼太郎著、朝日文庫)
「森吉山麓 菅江真澄の旅(建設省東北地方建設局森吉山ダム工事事務所)
「秋田の文化財」(無明舎出版)
「秋田 風と土のメッセージ」(秋田魁新報社)
「秋田市史」第15巻 美術・工芸編

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