朝日新聞秋田版「米代川 水と人と/10」 2001.9.25
 700年の歴史を誇る世界一の綴子大太鼓。天をつらぬく大太鼓の響き・・・綴子大太鼓は、用水に悩む農民たちが天上の神に雨ごいの神事として始めたのが起源と言い伝えられている。水に苦しみ、水に感謝し続けた歴史の重厚さを感じさせる行事である。(写真提供:鷹巣町(現北秋田市))

 奉納行事は、もともと上町と下町の二つの集落が一緒に行っていたが、昭和のはじめに奉納の先陣争いが激しくなったため、以降一年交代になり、太鼓の大きさを競うようになった。昭和の初め頃、すでに直径2mを越えていたが、昭和50年代に入ると3m台で競うようになり、現在は、直径3.8m、胴の長さが4.52m、重さが3.5tもある。2番目の直径3.71mが、ギネスブック世界一の認定を受けている。

 黄色く色づいたあきたこまちの稲穂が波打っている。豊かに実った稲の甘い香りがする。刈り入れが始まった田もある。

 鷹巣町綴子(現北秋田市)の宮大工、三沢秀雄さん(54)の約1haの水田は鷹巣盆地のほぼ真ん中にある。
 耕地整理が完成するまで飛びとびに10カ所にも分かれていた田んぼが、今は隣り合わせに3枚。
 「以前に比べると本当に便利になったっすな」
 例えば、2日半かかった田植えは一日ですむ。米作りに欠かせない水も、蛇口をひねると、必要なだけ簡単に出る。

米代川の水を噴き上げるサイフォン式の農業用水(秋田県北秋田郡鷹巣町(現北秋田市))

 三沢さんの所有田の東西に広がる334haは昨年、「21世紀型水田のモデル」として、県内のトップを切って1枚1haの大区画にする事業が終わったばかり。
 水田ではあるが、川とは地下のパイプでつながるだけで、幹線の排水路は大人の背ほども深く、メダカもドジョウも無縁の場所だ。「水田」というより、コスト低減を目指す機能的な「稲生産施設」といった趣だ。

 実は、一帯は半世紀ほど前までは支流の小河川やため池から水を引いて用水をまかなっていた。干ばつの折には、しばしば水争いが起きた。
 「カマを持ってけんかをしたと聞いたことがある」と三沢さん。
 名残が綴子大太鼓。村の豊かさを誇示するように、上下の地区で大太鼓を作り続けた結果の「世界一」だが、元は「ドロンドロン」と耳をつんざく響きをとどろかせ、稲作に要る水を天に求める雨ごいの太鼓だった。

 古来より米づくりの村として栄えてきた綴子村(現北秋田市)は、広大な田んぼに比べて水源水路の便が悪く、用水に苦しんだ歴史と文化が数多く残されている。一つは、村内にある小田神社、今木神社、太畑神社など、いずれも「水の守護神」を祀っている。そして、雨ごいの神事として始まった綴子大太鼓。鎌倉時代の弘長2年(1262年)頃に始まったと伝えられている。雨ごい、虫追い、五穀豊穣、豊年満作を祈る太鼓の行事は、獅子踊り、出陣行列、奴舞、ヤッパリなどとともに子々孫々に受け継がれている。
 綴子大太鼓祭りは、7月14日の宵祭と15日の例祭に、八幡宮綴子神社に奉納。県内外からの見物客で賑わい、大太鼓の雷鳴が一里四方に響き渡ると、本格的な夏の訪れとなる。

 綴子地区の中心地から支流の糠沢川沿いの上流約5キロの山間地。今年2月の「雪中稲刈り」で、「平年作」と占った元綴子農協稲作研究会会長の畠山喜久雄さん(48)は、収穫目前の稲を見て「当たったと思っています」とにこやかだ。
 平野部と違い、日照時間は不足気味。春先には水を深く張って水温を上げるなど、水管理には人一倍心を砕<。「米は気温次第。幼穂形成期には、水でコントロールするんです」
 栽培技術や環境の変化はあっても、水あっての水田。半年後の出来、秋の豊凶を占う畠山さんの眼力の底には、こんな工夫の積み重ねがあった。

 豊かな水量で、ゆったりと天地の境を流れる母なる米代川は、能代で日本海に注ぐ。

写真提供:鷹巣町(現秋田市)、北秋田総合農林事務所土地改良課(現北秋田地域振興局農林部農村整備課)