田んぼの環境調査1 その2

 岩見川左岸に広がる田園地帯・赤平地区。青空に飛び交う白雲、遠くの山並み、田んぼに点在する木々、村周辺の林、一面水を湛えた田んぼは、青空の色で青く輝き、豊潤な田園空間を醸し出している。まさに「ふるさと」と呼ぶにふさわしい田園景観が広がっている。

 しかし、中に入って驚いた。農道は、軽トラック一台がやっと通れる幅しかない6尺(1.8m)農道。車の車輪は、路肩スレスレで田んぼに落ちないように前に進むのがやっとだった。農作業に忙しく動き回る作業車が来ると、狭い農道の交差点で何度も待たされた。幸い、赤平地区は、今年から1haの大きな田んぼに整備する担い手育成基盤整備事業がスタートしたばかりだ。
 水田地帯の真ん中を流れる水路。両側に草が生え、水路底には藻類が生えていたので、魚がたくさんいそうに見えた。早速網を車から取り出し、捕獲作戦を開始した。
 水路は、大沢地区より広く、下流に網を二つ置いて、上流から魚を追い込む作戦で行った。追い込む道具があれば、もっと簡単に捕獲できたのだが、道具なしの人力だったため、苦戦を強いられた。
 「やっぱりいだでぇ」・・・田んぼ周辺でごく普通に見られたフナ、タナゴ、ドジョウがたくさん入ったので嬉しさを隠し切れなかった。こうした調査を丹念に実施していると、なぜか童心に帰ったような気分になる。そして身近な生き物や多様な植物たちに対して愛着が増してくるから不思議だ。その心こそ、環境に配慮した農業農村整備を進める第一歩ではないだろうか。
 タナゴ・・・タナゴ類は一見フナに似ているが、体の幅が著しく細く、体高が高いのが特徴。田んぼ周辺では、フナやメダカと並ぶ身近な淡水魚だ。二枚貝の中に産卵し、貝に卵を守られながら生き延びてきたユニークな生態でも知られている。生息環境の悪化やオオクチバスの野放図な放流によって、絶滅の危機に瀕している種類も少なくない。
 ギンブナとシマドジョウ
 ギンブナ・・・田んぼ周辺の水路や小川で最も身近に見られる淡水魚。小動物や水草、藻類を食べる雑食性。フナやナマズは、産卵期になると一斉に田んぼにやってくる。これを「ノッコミ」と呼んでいる。産卵後、元の自然水界へ帰っていく。一方、ドジョウやタニシは、田んぼに産卵するだけでなく、農閑期に水が排水された後も泥の中に潜って田んぼ水系に越冬するものもいる。

 シマドジョウ・・・斑紋のコントラストが美しい。水が比較的きれいな砂泥底や砂底の水域を好み、主に小動物を食べる。河川の中では、上流域で普通に見られるドジョウの一種。 
 田んぼ周辺に生息する魚たちを「水田魚類」と呼ぶ。ドジョウ、コイ、フナ、ナマズ、メダカ、タナゴ、タニシ、二枚貝、淡水エビ、淡水ガニ・・・。生計維持の視点からみると、稲作農民とって、田んぼは重要な漁撈の場でもあった。これら水田用水系を舞台とした漁撈を水田漁撈と呼ぶ。それは自給的で、多分に娯楽の意味を持っていた。地域の祭りを行う場合でも、水田魚類は欠かすことのできない存在だった。(「農山漁村の民俗と生物多様性」安室知熊本大学助教授より引用)
 山際を走る排水路。右の写真を見れば、水路に水草が生えているのがわかるだろう。左は、地元の農家の人が、岩見川から遡上してきた魚を捕獲するために仕掛けたもの。まだ何も入っていないようだった。
 田んぼを産卵場とする魚介類の代表は、フナ、ナマズ、トジョウ、タニシ。自然を切り開いて水田を造成したり、毎年耕作し続けることは、自然のかく乱である。しかし、近代までの農法は「中程度のかく乱」として位置づけられ、それはかえって自然のままよりも、より種の多様性を高めるものであったと言われている。(清水 1997)
 杉木立の奥に、一面水の張られた田んぼが広がる美しい景観。  屋敷に植えられていたフキ。
 大沢集落の古い農家。手入れが行き届いた庭木と屋敷林の美しさに圧倒された。
 茅葺き屋根の民家と古い土蔵もきちんと管理保存されていた。周囲の田園景観も含めて、次の世代に残したいふるさと景観だ。
 大沢集落を農道側から撮影。手前が「延命地蔵」の石碑。満々と水を湛えた田んぼとマッチした山村の伝統的な景観が広がっている。
 農家の人が田んぼの真ん中に植えたツツジの花が田園景観に彩りを添えて美しい。水と土に生きる農民の豊かな感性が伺える。
 田んぼの中にあった墓地。周囲は緑の木々と白いツツジが咲き乱れ、鏡のような田んぼの水面にくっきりと映って美わしい。畦や墓地の周りは、綺麗に草が刈られ、日頃の管理が行き届いていることがわかる。
 岩見川から田んぼに水を引く和田頭首工。先人たちは、川を堰き止め、水路を延々と開削し、広大な原野を開拓した。度重なる災害にも屈することなく、改修、復旧工事を繰り返し、長大な幹線用水路、広大な田んぼ、大地に張り巡らされた無数の水路を日々維持管理しながら先人たちの遺産を守り続けてきた。「里山やため池、水田の生物多様性を守れ」と口で言うのは簡単だが、水と土に生きる農民たちの手入れがあればこそ、かろうじて守られていることを改めて痛感ぜざるを得ない。逆に言えば、水路の泥上げや草刈、田んぼの耕作を放棄したとすれば、この豊かな生物多様性は守れないことを意味している。

 巨大な頭首工と満々と水を湛えて流れる幹線用水路・・・もしこれらの施設を放棄したとすれば、どうなるのだろうか。田んぼには一滴の水も入らず、水辺に生きる淡水魚や両生類、昆虫、多様な植物たちも田んぼ周辺から姿を消すであろう。こんなことを想像していると、一見田んぼから遠く離れた人工的な施設にしか見えないけれど、実は生物多様性を支える心臓部であることに気づくはずだ。
 「子供時代に遊んだ生き物や食文化になじんだ生き物、そして儀式に必要な生き物は、・・・文化的な存在として、生活や生産場面でさまざまな゛意味づけ゛を与えられてきていたのである。・・・かつて柳田国男は゛豆と葉と太陽゛というエッセイのなかで、いかに日本の農山村の人々が゛美しい景観゛をつくるために心をくだいてきたかを語った。

 ゛ウサギを追い、コブナを釣った゛故郷の歌を持ち出すまでもなく、農山漁村は、直接有用な生き物だけが、もともと生息していたのではない。・・・生き物のにぎわいは、人の文化の深まり、精神の満足と両輪となり、初めて社会にとって、実践的な意味を持ってくるのではないだろうか。日本の農山漁村が秘める潜在的な意味は大きい」(「生物多様性と文化の多様性−水辺環境の実践的保全にむけて−」嘉田由紀子)
参 考 文 献
「農山漁村の生物多様性」(農林水産技術情報協会監修、家の光協会)
「淡水魚カタログ」(森文俊、秋山信彦著、永岡書店)
「ヤマケイジュニア図鑑2 昆虫」(山と渓谷社)

田んぼの環境調査1 その2