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湖底の村づくり
Village-making of the lake bottom Part 1

 「干陸した地表に足を入れると周囲の土が揺らぐような水面に浮き上がった農地(表面は乾いているが、その下は乾燥が進んでいないヘドロ地盤)である。栽培技術を受け入れてきた土壌の通念からは遥かに遠い農地である。

 ・・・湖底土は乾燥すると強く固化して砕土は極めて困難視される状態にある。さらに一般的な水田耕地にはみられないコウキャガラが群生している。
 このような状態が干陸した湖底土である。この湖底土が水田耕地としての性格をもつには、自然の乾燥、風化による年月の経過が必要である。しかし、早急に、まだ未確定要素の多い大型機械化直播技術の導入と確立を図ろうとする要請は、未知の世界への不敵な挑戦としか考えられない。

 ・・・干陸耕地の稲作には余りにも未知の条件が多かった。・・・今なお脳裏に残るもの、最も強烈なものは、湛水直播稲の発芽モミの大半が浮上し、風に寄せられて畦畔ぎわに山積みした状態である。また乾田直播稲では出芽せず大半のモミが土中で枯死、乾燥した状態である。・・・報道は当然、直播技術のみでなく八郎潟干陸地稲作の失敗として広報した。・・・

 八郎潟干陸地は大潟村として誕生したと同様に豊かな生産の耕地として一変し、そこにはもう既に生みの苦しみは過去のものとして消滅された。大声で八郎潟干陸地のバンザイを唱えて干陸地の歴史を閉じてもよいであろう。」

(「八郎潟新農村建設事業団史」、回顧編、木根渕旨光)
左:゛千古、人を知らない゛湖底に先達を迎える住家は、整然とした区画と年次別の色どりで、平等こそが理念であった(昭和44年)。右:入植訓練を終え、「さあ、自立だぞ!」と意気に燃えたパイオニアたちの未来はいかに・・・(昭和42年)

 「干拓工事の規模や駆使された技術には、素人ながら、感心するばかりであった。
 この事業の実現に政治生命をかけたという小畑知事の熱意にも感銘をうけた。
 だが、木らしい木一本もなく、茫漠とした現地に立って、激しい風にさらされると、覚束ない心もちにならざるをえなかった。」(松岡 亮前八郎潟新農村建設事業団理事長)

空中播種の実験には、全国の取材陣が殺到し゛日本初の機械化農業゛と大見出しの活字で報道された(昭和38年) 東洋一を誇るカントリーエレベーターは、大型機械化農業に対応して建造された村のシンボルであった。高さ30mのジャイアントサイロ80本がそびえるダイナミックな光景は、大規模農業のランドマーク。米、麦、大豆など46、000トンの処理機能をもっている。
「初年度の直播は一部分を除きほとんど失敗に終わった。
知事も非常に心配され、朝の4時に出発して現地を視察され、また農地局にも報告に伺ったが、
農地局長以下関係者は、非常に寛容な態度で
゛これは初めての実験だから悲観する必要はない、試験というものはそんなものだよ゛
と慰労と激励をしてくれたことを有難く思った。」(佐々木令蔵事業団指導部長)
新たな息吹に燃えるパイオニアたちを迎えた入植訓練所(昭和41年) 初の農業祭でトラクターによるパレードの意気たるや、まさに軒昂そのものだった(昭和43年)
左:ほ場づくりはヒザをも没する軟弱なヘドロとの闘いの連続だった(昭和43年)。右:地中に染みた塩分は農作を阻み、中和剤散布のヘリコプターは休むいとまもなかった(昭和44年)(土壌の乾燥が進むにつれて酸性化し、PH3〜4の強酸性を示した。土壌の中和の目標値はPH6とし、石灰散布を行った。)

 戸苅義次日本大学教授は、昭和41年、大型機械化稲作技術の体系試験を実施し、自信が崩れ落ちたと述懐している。
 「実験の結果は散々であった。
 干拓土壌では発芽苗立が不安定とは推定していたが、土壌の塩基濃度が高いこと、土壌の酸化が進展せず強還元であること、湛水の腐敗が早いなど多くの障害に悩まされ、大区画水田で波立ちによって浮苗が打ち寄せられ、さらに鴨の食害、ネズミ害、ウキヤガラなど干拓特有の雑草など、その障害の多いのに驚いた。

 ・・・土壌を乾かすことが第1に必要なことが明らかになった。
 ・・・思えば功を急ぎ過ぎた結果の失敗が多かったのである。
 ・・・国家の要請があったにせよ、必要な年数は土地を遊ばせてもその熟成を第1に図るべきとの鉄則を強く守らなければならなかった。」
左:つい身についた手植えが優先した頃もあった(昭和44年)。右:土壌が安定し、三連のコンバインで麦を刈るまでになった。

 「流した汗は貴く、また未来をひらく糧となる。
 暗闇の中を手探りで歩いたような当初数年間の冷汗、期待どおりに進まないうちに無駄だったとも思われるように絞られた油汗の数年間、しかし今は、流れる汗にも豊かな実りが膚で感じられる。流す汗に未来への期待がある。

 ・・・誕生した大潟村は、近代化された豊かな農業生産地である。
 しかし、機械化の装備からすべての湿地型装備が解消した時に大潟村の生産技術は、さらに大きく飛躍するであろう。この期待には希望の汗を流す努力が必要であろう。」

(「八郎潟新農村建設事業団史」、回顧編、木根渕旨光)

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