川辺さんとヤンセン教授 お礼の手紙 お礼のメール

 管理人へ一通の封書が届いた。
 「・・・さて同封のコピーをご参考までにお届け申し上げます。農業土木以外にも古い(?)八郎潟干拓の経緯をご存知の方がおられるとは誠に心強く存ずる次第です。平成12年6月19日」(湯浅満之、昭和49〜52年秋田県農地整備課長、農業水利課長)
 その手紙に添えられた資料は、平成12年6月8日発行「公研 2000.6」に掲載された「八郎潟物語」と題する評論家・林 芳典さんの文であった。

「八郎潟物語」(評論家・林 芳典)

 サンフランシスコ講和条約調印(1951年9月)という大仕事を果たした吉田首相はある日、ダレス米国務長官から「オランダの気持ちをやわらげるよう一段の努力をなさることです」と耳打ちされた。このことは吉田自身、いつも心にひっかかっている事柄であった。

 オランダは日本軍によって植民地のジャワ、スマトラを占領され、人的物的に多大の被害を受けたうえ、戦争が終わったあと植民地はそのまま独立国となってオランダの手から離れてしまった。それだけに日本に対する国民感情は悪く、講和条約の調印にも最後まで注文をつけた。

 吉田は日本が得意とする経済の分野、つまり貿易の増進によって交流を深めようと考えたが、両国の間にはとくに補完し合える商品がない。思いあぐねた矢先、フト思い出したのが英国大使だったころオランダへ出張したときの光景だ。延々と続く堤防で海を仕切った大干拓地。国土の25%が満潮水位以下にあり、「神は海をつくり、オランダは陸をつくる」といわれるこの国・・・・。

 さっそく保利農相を呼び、オランダの干拓技術を日本で生かす方法はないか、それにふさわしい事業はないか、検討しなさいと下命した。当時、農林省が抱えていた最大規模の干拓計画は秋田県・八郎潟であったが、何分にも巨大プロジェクトであるため技術面、予算面、利害関係の調整などの問題を残したまま日の目を見ないでいた。

 ワンマン首相のお墨付きは、黄門さんの印ろうみたいなものだ。たちまち干拓反対派の知事は推進派に変わり、大蔵省も予算を付け、農林省はオランダとの間に技術援助契約を結んだ。技術指導者として来日したヤンセン博士らは寒風のなか八郎潟の湖岸に立って熱心にあれこれ助言をした。

 なかでも、さすがと思われたのはオランダが開サンドベット工法で築堤された堤防発した「サンドベット工法」だ。これは堤防の下5mぐらいまでヘドロを全部取り除き、幅130mの砂床に置き換えるという大掛かりな工法である。日本の技術陣がついぞ克服できなかった軟弱地盤での築堤が、これで安全度100%になった。

 しかし、ヤンセン博士は吉田首相への報告では、いつも日本の技術陣の能力をほめ上げた。「日本の土木技術は高額の費用を払って私を招く必要はなかった。なぜ日本は私らを招いたか真意がわからない」といった。この謙虚さが日本人技術者の心証をどれほどよくしたか計り知れない。両者の信頼関係が固まって工事はトントン拍子に進み、起工から6年で干陸式を迎えた。

 これまでの日本地図では海と同じ青色だった男鹿半島の根っこの1万3千haが、豊かな耕地を示す緑色に塗り替わった。「米価が半分に下がってもペイする」という日本最強の低コスト米作地帯が、こうして日蘭協力によって出現した。

 今では関係者以外に余り知られていないこのエピソードは、世界に尊敬される国を目指す日本外交の在りようについて一つのヒントを与えてくれる。米・中など大国相手の外交やアジア近隣外交も重要だが、遠くて小さくてもピカッと光っている国を大切にすることも怠ってはなるまい。

 日蘭交流400年の今年、天皇が彼地を訪ねて「深い心の痛み」と「不戦の誓い」を異例の長さで述べられたのは、その意味で近ごろ会心のニュースであった。

 
川辺さんとヤンセン博士(秋田さきがけ 1991.4.14 北斗星)

川辺さんから得た追加情報です。


 評判につられて南秋田郡大潟村の温泉「潟の湯」を訪ねてみた。去る2月8日のオープン以来、多い日で2000人以上、平均で1100人というから聞きしに勝るにぎわい。村外からの客が85%というのも「今後の経営にとって心強いこと」と宮田村長。

 この温泉保養センターの売店に゛干拓の国゛オランダのコーナーがある。有名な木靴をはじめ陶器、人形、スカーフ、テーブルクロスなどの特産品が並び、ビールやチーズ、菓子・・・と多彩。そして一角に八郎潟干拓の技術指導をしたヤンセン氏の大きな遺影も。

 撮影者は先に秋田魁新報社から写真集「潟の記憶」を刊行した秋田市の川辺信康さんで、昭和39年に教授が来村した際のスナップを全紙大に伸ばしたもの。オランダ・コーナーの誕生を知って寄付したといい、にぎわいに花を添える形となった。

 ヤンセン教授は昭和57年7月5日に亡くなり、遺骨は故人の遺志により北海の荒波に投じられた。だから墓はない。これを知った川辺さんは「潟の記憶」を教授の遺族に贈るため6月上旬、オランダを訪れる大潟村の青年ら一行12人に託した。

 オランダのヤンセン博士写真集に添えられた手紙には「干陸記念式典の際、どうしても(教授の)正面のシーンが撮れなくて、思い余って背後からドクター!と呼びかけました。その瞬間、私の方を振り向いて杯を挙げ、ほほえんでくれました。26年前のあの時の温かいまなざしが忘れられません」とある。

 教授の長男マックス・ヤンセン氏はアムステルダム大学教授。今、大潟村とオランダの干拓村との姉妹縁結びに奔走中と聞く。この先の展開が楽しみだ。

  
ヤンセン教授の長男・マックス・ヤンセン氏からのお礼の手紙

Dear Mr.Kawabe
Thank you very mach for sending me your photoalbum, documenting the story of Hachirogata being transformed into ogata-Mura.
For us, his children, it is good to see how my father's contribution to that great project is still appreciated.
I can assure you that he has always spoken highly of the kindness with which he was treated when visiting the site of the reclamation project.
I was moved by your letter accompanying the picture you also sent us.
From it I gathered that you not only remember him as an authority on building dikes, but also and primarily as a fellow human being.
This, I think, is exactly the way he wanted to be remembered.
I am very grateful to you for presenting this wonderful picture to us.
I can assure you that it has friendly relations my father established with people far away and yet so dear to him.
sincerely yours
m.Jansen

(訳文)
川辺 様
 八郎潟から大潟村へと変貌していく物語を記録した素晴らしい写真集をお送りいただきありがとうございます。
 この写真集は、我々にとって、彼の息子として、あの巨大なプロジェクトに対して、父の貢献がどう評価されているかを知るために素晴らしいものです。
 干拓のプロジェクトの地を訪れる時は、彼はいつも高い厚情を受けたことを大いに話していたことも確かです。
 私は、あなたの写真に添えられた手紙によって心が動かされました。
 あなたが記録したものは、堤防を築き、建物を建てた偉大な記録だけではなく、主として友としての人間の記録でもある。
 これこそ彼の求めた道であることを、はっきり思い出すことができます。
 我々にとってとても素敵なプレゼント写真に深く感謝します。
 私の父が、はるか遠くの親しい人々と友好関係を確立したことを確認することができました。

 敬具
 M.ヤンセン  
マックス・ヤンセンさんからのメール 2000.6.25

Dear Sir,

I was very pleased by your kindness to send me a copy of the information on the Nobuyasu Kawabe photograph collection. It is always good to experience that my fathers contribution to the reclamation of Hagirogata is remembered well. I hope that one of these days I will find the complete english version on internet.
Hopefully I can remain informed about developments in Ogata-mura, which I remember with great sympathy since my visit in 1994.
Thanking you again I remain, sincerely yours,

Max Jansen 2000.6.25

拝啓、

私は、Nobuyasu Kawabeの写真コレクションについて、私にインフォメーションの1コピーを送っていただき、あなたのご厚意に大変喜んでいます。八郎潟の干拓について、私の父の貢献が十分に思い出され、いつでも見ることができ.るのは最高です。私は、インタールット上で英語版が完成する日を望み、希望します。
希望に満ちて、私は、1994年に訪問して以来、情報提供された大潟村の発展に大変感激する思いでいます。
ふたたびあなたに感謝して筆を止めます、敬具、

マックス・ヤンセン