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幻の古道を歩く(協力:東成瀬村教育委員会 電話0182-47-3415)



 幻の古道・仙北街道は、仙台藩と秋田藩を結ぶ奥羽山脈越えの山道である。その道は、胆沢川支流小出川の原生林地帯(森林生態系保護地域)のど真ん中を横断し、現在でも開発から逃れてほぼ昔のままに現存している。

 仙北街道は、秋田県東成瀬村手倉から峰伝いに柏峠(1018m)を経て、小出川(おいでがわ)を渡渉し、栃川、ツナギ沢沿いの山道を歩き大胡桃山(おおぐるみやま、934m)を経て、峰伝いに下り、岩手県胆沢町下嵐江(オロセ)に至る24km。かつて、街道の幅は9尺(2.7m)もあったという。秋田側では「手倉越え」「仙北道」とも呼んだ。

 この街道は、宝亀7年(776)に登場し、後三年の役(1083-87年)では源義家が通り、江戸時代には、飢饉の救援米を大量に運んだ。
 胆沢町に残る「とや文書」では、文政8年(1825)の冬、飢饉救済のため、前沢領主が秋田から米三千俵を買い付け、仙北街道を運んだとの記録がある。また、岩手県前沢町の「高梨文書」でも、天保8年(1837)正月20日、やはり飢饉救済のため秋田米千七百俵を運んだと記されている。
 幕末には高野長英が江戸伝馬町の牢屋から逃げ、姿を変えて水沢の母に会うために山を越え、戊辰戦争では仙台藩から300人が山を越えて、秋田に攻め入ったという。

 千年を超す長い歴史をもっていたが、大正時代、北上-横手間の平和街道(国道107号)が開通すると、地図から消えた。

 「昔の道は消えてしまったが死んだのではない。瞬間的に消えてしまう道は、次々と新しい生命のなかに受けつがれていてよみがえってくる。人々の生きた証をたどる道を通してそこをどんな人生が流れて行ったか、人間という久遠の旅行者の、永遠に果てない夢がそこに埋もれていて、皆んなまた、それをつないで流れて行く一人だ」(藤森栄一、古道より)

 
 難所が幾つもあるコースだが、平成2年、岩手県胆沢町愛宕公民館と秋田県東成瀬村公民館が共同で、消えた道に歴史のロマンを追う活動が始った。その後、平成8年、秋田県東成瀬村で「仙北道を考える会」、平成10年、岩手県胆沢町で「仙北街道を考える会」を結成。現在は、古道を刈り払い、歴史的な古道を通して両町村が交流している。

 数百年のブナの森と険しい峰に刻まれた古道、そして苔蒸した山神の石碑・・・千古の歴史を刻む古道のロマン。幻の仙北街道を辿る旅は、ミレニアム(千年紀)に最もふさわしい旅である。

 

仙北街道のルート拡大図を見たい場合は、MAPをクリックしてください。

参考文献:東成瀬村郷土誌、河北新報2000年6月25日付け「とうほく山の物語」
東成瀬村教育委員会提供各種資料を参考とした。

お問い合わせ 東成瀬村教育委員会 電話0182-47-3415 FAX0182-47-3260

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