秋田は昔から「米どころ」と言われている。それには深い訳がある。秋田は、西は日本海に面し、対馬海流の恵みで温暖である。東は南北に連なる奥羽山脈が「ヤマセ」をさえぎり、山越えした寒風はフェーンの風に変わって、8〜10度温度が高くなる。これを地元では「宝風」と呼んでいる。大部分の田んぼは盆地の中にあって、昼と夜との温度差が大きく、稲の育ちと実りに好適な条件を備えている。
 良質・豊富な水に恵まれ、田んぼの土は美味い米づくりと多収に適し、農家は稲づくりの技に熟練している。こうした最適な条件が幾十にも重なり合って、秋田米の美味しい粘りとツヤを生んでいる。
 秋田のお米の生産量は60万トン、新潟、北海道に次いで全国3位の生産量を誇る。それは、全国の生産量の6%、ほぼ1,000万人のご飯をまかなう量である。

日本を代表する秋田のお米「あきたこまち」。名前の由来は、秋田県小野の里に生まれ、美人の誉れ高い平安時代の歌人、小野小町にちなみ、おいしいお米として末永く愛されるようにとの願いを込めて命名された。写真は、かつての県産「あきたこまち」の精米袋に採用されていた市女笠の秋田美人。 秋田県雄勝郡雄勝町で毎年開かれている「小町まつり」。町の若い女性が小町の衣装をつけて町を歩く。
昭和59年、コシヒカリを母とし、奥羽292号を父とする「あきたこまち」が誕生した。親以上のつやと粘りの強い個性をもち、秋田で作れる早生化に成功した優秀な子孫である。 秋田県産を強調する「釣りキチ三平」へ一新…秋田県出身の漫画家・矢口高雄さんの代表作「釣りキチ三平」を「あきたこまち」の新しいキャラクターとして採用。
これまで市女笠の女性は、簡単に真似をされ、消費者にとって本物の区別が難しかった。矢口高雄さんの漫画なら、著作権もあり、簡単に真似はできない。新しい米袋には、本物の「あきたこまち」を強調するキャッチフレーズ「これ本場もん!!」を使用している。
お米の反収は、明治末まで何と全国42位、大正末期で30位、戦前は20位、昭和30年前後は10位台、33年以降4位、そして今日の日本一に到達した。これは単に秋田が稲の適地だというだけでなく、農家の人々のたゆまぬ努力と熟練した技によって実現したものである。 秋田の田園風景。秋田のお米の生産量を歴史的に見ると、100年前はわずか13万トン、50年前は25万トン、戦後30万トン、そして現在60万トンへと飛躍的に増大している。これは、干拓や開田による作付け面積が増えたばかりでなく、土地の改良や農家の努力による生産性の飛躍的な向上があったからである。
秋の収穫後の杭掛け風景。秋田の田んぼは、奥羽山脈の山土を米代川、雄物川、子吉川の三大河川が運んで堆積したものである。下層は深く耕され、有機質も多く、水もちもよい。そして、田んぼは、冬の雪の下で休み、力を蓄え若返る。 干しもち…厳寒期に、農家の軒先に吊るして乾燥させる。
左上は、色鮮やかな干し餅、右下は味噌つけたんぽ。 左上は、せんべい突き、右下はかまぶく。せんべい突きは、餅に少量の砂糖と重曹を加えて手焼きされたせんべい。かまぶくは、米の粉にやわらかく煮たジャガイモを加えて作った巻きもので、主に正月やご祝儀の膳に盛る。