田沢疏水は語る 国営田沢疏水 第二田沢開拓 仙北平野 甦る田沢疏水
玉川毒水 田沢疏水と開拓T 田沢疏水と開拓U
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![]() 現在の仙北平野。広大な田園風景に溶け込む散居集落と屋敷林・・・ |
仙北平野とは、北の玉川、西の雄物川、南の出川に三方を囲まれた15,600haをいう。この秋田県最大の穀倉地帯がどのようにして形成されたのか。 田沢疏水という百数十年にわたる水への挑戦 悪名高き玉川毒水、開拓者に「ジャングルの原始林」と呼ばれた荒野の開拓・・・ そこには、関係者の血のにじむような労苦と目頭が熱くなる感動のドラマがあった。 |
![]() 旧御堰絵図 千秋文庫博物館所蔵 |
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田沢疏水の歴史は、今から約180年前の文政年間、時の秋田藩主佐竹侯により計画された。玉川を堰止める工事は洪水で流され三度も失敗、取り入れ口を上流に移しトンネルを掘り抜き、延々30kmに及ぶ用水路「御堰(おせき)」を完成、新田開発と古田の補給水として利用された。これが田沢疏水の始まりである。しかし、玉川の水は、源流の渋黒川から玉川温泉の強酸性水が注ぎ、古くから「玉川毒水」と呼ばれ、流域の農業に甚大な被害を与えていた。その後、御堰は、度重なる災害に見舞われ、決壊埋没し、いくたびか復旧の計画が立てられたが、実現にいたらず、空しく荒廃するばかりであった。 |
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![]() 昭和13年開拓前の仙北平野。 うっそうとした原始林、その中に小さな田んぼが点在、いずれも湿田である。 「仙北平野には、広大な荒野が残されていた。 ここに大きな川・玉川の水を引けないものか・・・」 |
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![]() 長年の夢であった仙北平野の開墾は、昭和12年、「田沢疏水国営開墾事業」として、その第一歩を踏み出した。 この計画は、玉川の水を田沢湖に流し込んで、その毒性を薄め、生保内発電、夏瀬発電で発電用水として利用し、その下流の神代調整池から放流された水を玉川抱返り頭首工で取水し水田に利用しようというものである。 その規模は、県内に例をみない前代未聞の3,000haに及ぶ大開墾事業であった。 |
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| 田沢湖 昭和14年 | 抱返り渓谷 昭和15年。神代貯水池より放流された水は、玉川抱返り頭首工で取水され田沢疏水へ。 |
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国営田沢疏水開拓(昭和12年〜37年)・・・幹線水路34km、開田2,500haを実施。 国営第二田沢開拓(昭和38年〜44年)・・・幹線水路7.5km、開田1,000haを実施。 国営かんがい排水仙北平野地区(昭和44年〜60年)・・・仙北平野幹線用水路38km、約9,000hahaにかんがい、排水改良を加えると1万ha。 国営田沢疏水農業水利(昭和54年〜元年)・・・老朽化した旧国営田沢疏水の更新。 仙北平野には、田沢疏水、第二田沢、仙北平野の三つの幹線があり、ちょうど゛川゛の字を描くように平野を縦断している。昭和12年から始った田沢疏水、それに続く第二田沢が仙北平野の東部に広がる原野の開墾を促し、昭和44年から着工した仙北平野地区は、約1万haに及ぶ慢性的な用水不足と排水不良を解消した。 藩政時代の御堰の開削以来百数十年、多くの農民が、さまざまな苦闘の末に完成した田沢疏水は、今、豊かな流れとなって仙北平野を潤している。 |
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| 参 考 文 献 | |
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