田沢疏水は語る 国営田沢疏水 第二田沢開拓 仙北平野 甦る田沢疏水
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(昭和54年〜平成元年)

改修前の幹線用水路


改修前の抱返り頭首工

昭和55年から再び国営田沢疏水農業水利事業が開始された。目的は、老朽化した施設の更新である。
「第一期の工事は戦争に資材を持っていかれ、鉄筋が全く入っていなかった。そのため厚さ20cmのコンクリートブロックを積んで水路を造成してある。工法の稚拙さもあり水路崩壊がいたるところにあった。・・・全面更新です」(村谷所長)

抱返渓谷 更新された左岸抱返り頭首工
神代取水口 更新された左岸幹線用水路
水管理自動化施設・・・安全、確実、速さ、公平さ、用水管理の全てを居ながらにして処理するコンピューターシステム。「田沢、第2田沢、仙北平野と三つの幹線があり水路形態が複雑。人間の頭では判断できない用排水量の変化、目に見えないパイプラインというのもある。システムは簡単に言えば水の流量とゲートの開きをキャッチした上で上流、下流の需要量を演算、指示する」(小原課長)


完工記念碑「甦る疏水」・・・碑文には、次のように記されている。
「・・・施設は築造後30有余年を経過し、当時の物資不足の影響もあいまって、老朽化が顕著となり、機能の低下、維持管理の困難性等から早急な施設の更新が迫られるに至り、国営事業の推進が計られた。
7カ町村にわたる受益面積3,890haの水利用の再配分を図るとともに旧田沢疏水施設を更新するため、1979年国営事業所を開設し、11年の歳月と約129億円の巨費を投じて・・・1989年度をもって完工し、地元関係者の願いである田沢疏水が近代的施設を整えて再び蘇ったのである。
ここに、この事業を後世に伝え、地域永遠の繁栄を祈り1989年4月20日この碑を建立した。 秋田県田沢疏水土地改良区」

千畑開拓記念碑に刻まれた詩

「慌芒の荒野に汗と力打つ
辛苦に耐えつ幾とせの
緑の大地ここに拓けり
いま豊穣の夢満ちる
ああ我等が精魂永遠に伝えん」
(細井藤一作)

大区画の田んぼでの田植え(現大仙市太田町)

「今、玄関に出て田を見るたびに、40年前に夫と一人息子と過ごした入植当時のことが思い出され、自然と落ちる涙をかくしようがありません。

…若い盛りの入植者同志が互いに励まし合い、助け合い、そして将来の百姓生活の夢を語り合い、子供の成長を楽しみに開墾鍬を振るったものでした。そして田沢疏水の完成で水が流れてきて、たった二反歩ほどでしたが、稲つくりができた時は、機械で楽々と米をとれるようになった今の息子や嫁に知ることのできない、何にも例えようのない喜びで、夫と一緒に開拓してよかったと語り合ったことが、昨日のように思えてなりません。」(昭和22年入植 倉田ユキ)

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