「熊鷹 青空の美しき狩人」
(藤原審爾 、文藝春秋
1982.5.20第1刷)

この小説は、最後の鷹匠・武田宇市郎さんを
モデルにしているだけに単なるフィクションとは
思えないほど、鷹匠の術に関して見事なまでに
活写している。187ページにわたる力作だが、
残念ながら絶版とのことである。できるだけ
多くの方に読んで欲しいと思うのたが・・・

そこで、熊鷹と鷹匠に関する一部を抜粋し、
故藤原先生の鷹と人間と自然との壮大なドラマ
の一端をご紹介したい。
主人公・寿太郎が、山で熊鷹の卵を見つけ、飼いはじめる。

 どういう育てかたが一番よいかはわからないが、上山は箸で鳥の肉をこまかくさいたのを、雛の口に入れてやった。
 それで結構育ったそうである。
 白い綿毛が生えて、立って歩けるようになったら、水もやらなければならない。肝心のことは、その頃が最も大事なときで、欲しがるだけ食べさせなければならない。
 欲しがるだけ食べた仔ほど、よい鷹になり、獲物に貪婪になる。蛇やねずみの子のような生餌もやったほうがよい。よく働く熊鷹になるかどうかは、その時分の食べさせかたで決まるのだそうだ。


熊鷹の名前を乾坤(けんこん)と名付ける。

 寿太郎は乾坤と涼しい縁側で竝んで腰掛けながら、そのときはじめて上山のことばを思いだした。
 彼は食べたがる分だけ食べさせろと言ったのだが、もしかするとそれが人間の世界に熊鷹を結びつけるものではないか。
 食べたがるだけ食べるということは、自然の中ではまず無理なことである。
 自然はほどほどの餌で生きるところなのであり、そこから食べたいだけ食べる人間の世界へ連れ込めば、熊鷹はもはや厳しい自然へひきかえせなくなり、人間たちの道具になって行く。手から放れても逃げ出せなくなり、必要以上の獲物をとらされる熊鷹に堕ちてしまう。


 寿太郎は上山が鷹の頭を撫でるな、撫でると野性を失い、よい鷹にならないと言ったことを思いだした。
 飢えさせることで乾坤をあやつったり、猟のために乾坤の野性をうしなわせないようにしたりする。
 そんな身勝手なことを寿太郎はできない。
 乾坤は羽が生えそろい飛べるようになったら好きなところへ飛び去っていけばよいのだと、自分に言い聞かせた。

寿太郎の息子・門多は、熊鷹に夢中
教師から、鷹の訓練のしかたを教わる。

 「足に丈夫な紐をつけること、
 左腕には鋭い爪で怪我しないようにカケという長い手袋をすること、
 その左腕に鷹をすえる練習をはじめる、
 鷹がおびえないように黒い袋をかぶせること、
 そしてそれが出来るようになったら、山へ連れて行くとか、広場で、鷹を放し、呼べば戻ってくるようにする。それから兎をとる練習をさせる。鷹は一度か二度で猟能が触発されて、たちまち猟ができるようになる。

 乾坤が腕にとまるようになると、門多は庭に連れ出し、乾坤を飛ばせ、それを呼び戻す練習をしはじめた。8月半ばのその頃には乾坤の羽も漸くととのってきており、門多が握ったアシカをはなし、
 「ほら行げぇっ」
 と放ってやると、乾坤はばたばた飛び上がり、表庭の井戸のところの柿の樹や屋根の峯へ、陽と風の中を飛んで行く。門多は餌箱から肉をとりだし、カケにのせ、
 「乾坤、帰って来う」
 と呼ぶ。

 乾坤は今や自由を得ているのである。彼方の村のほうへ出かけることも出来れば、裏の蟻巣山や三界山を越えて、未知の天地へ飛び立って行くことも出来る。
 なにも人間たちの勝手な命令にしたがう必要はないのである。
 しかし乾坤の中からその命令にしだいたくなる衝動が起こってくる。
 乾坤はそれが気に入らなくて、心持ち不機嫌になり、門多の声が聞こえないような様子をする。
 しかし、肉片に目がすいつけられ、肉の魅力に勝てなくなり、しぶしぶ門多のアシカに戻り、肉を食べる。その時の門多のうれしそうなはじけるような、

 「乾坤、ええどっ」
 という声が、乾坤をうれしくさせてしまう。

矢島流鷹術を持つ爺さんとの出会い

いよいよ山に入り、乾坤を飛ばそうとしだが、どうも様子がおかしい。不意にその時、あざ笑うかのように爺さんが言う。

 「ありゃ、酔っとるんだ、車で来たのと違うかい」
 と笑いながらそう言い、門多を眺めるようにみた。腕をあげて鷹をすえる恰好をして、その腕を上下に動かした。よほど鷹を飼いなれているとみえ、まるでその腕にとまった鷹の揺れている様子が見えるようである。

「腕を動かすと鷹は酔うんだ、鷹は酔いに弱いんじゃ、あまり酔わせると、目から白い泡をだして死ぬぞ」

(戻ってこない鷹を爺さんに呼び戻してもらう。)

 ひょいと渡してくれた乾坤を、門多は受け取り胸に抱きしめると、よろこびと安堵が胸に満ち、それが涙になった。

 「おじいさん、ありがとう」
 とたんに爺さんが、叱るように言った。
 「抱いちゃあいかん、カケにとまらせろ、逃げはせん」
 あわてて門多が乾坤を腕にすえた。
 爺さんはそれをみてから、にこっと笑った。
 「ありあまった金があって、鷹と遊ぶだけならいいが、その鷹を使う気なら、抱いたり、撫でたりしてはいかん。飼鷹になって、いいかげんな猟をして、却って獲物に殺されるぞ。おまえな、こいつが好きなら強い鷹に育ててやらんとな」
 「おら、間違ってだべが」

 「おまえ今朝こいつに餌を食べさせたろ。
 こういう兎をつかまえさす訓練をするようになったら、ものを食べさせてはいかんのじゃよ。
 
10日に茶碗いっぱいほどやればいい。
 あとは練習をちゃんとやったときに一ト切れやればよい。
 もしもこの熊鷹が自分の巣にいたら、巣立って独りで暮らすようになっても、いつも腹いっぱい自由に食べられるわけではないからな。
 餌をとれない日もあるし、餌の少ない冬もある。
 そんなに沢山食べられはせんのだ。
 だからそれほど餌をやらんでもよいのだが、鷹匠が、こどものとき食べられるだけ食べさせるのは、熊鷹の弱味をつくるためだ。
 食べれば食べるほど、もっと食べたくなるんじゃ。
 餌を見ると凝っとがまんしていられなくなるような熊鷹にすると、ますますそんな熊鷹になろうとするようになる。
 そういう癖をつけると、餌をもらうために人間の言うことをきくようになる。そういうようになろうとする熊鷹になるから、山へもどしてやっても生きて行けなくなってしまう。
 こいつはお前にあまやかされて、出来そこないになりかけているから、今のように餌を見せても、杉林へ飛び込んだのだ」


「仲えぐして獲物をとらせられねぇべか。おら、そうしでんす」
「それじゃ、とこいつが言うだろうな、おらが獲ったんだったら、この兎は半分っこにしよう。鳥小屋なんてきらいだから、家で一緒に寝ようというかもしれんぞ」
「おら、そうするぞ」
「そしたらこいつは、勝手に餌をとって食べるようになって、餌箱の餌を見向きもしなくなるかもしれんぞ」

鷹匠 矢島源兵衛の過去

(その爺さんの名は矢島源兵衛という。)


 矢島源兵衛の家は、もとは会津藩の鷹匠であって、維新後は西会津の奥の飯豊山地へ移り、鷹を育てつづけていた。とくに源兵衛の父は名人とよばれたほどの鷹匠であって、源兵衛は子供の頃からその父に供を言いつけられた。

 子供にとって雪の山道十里はらくではない。源兵衛はよく鷹匠なんかにならねえと泣いてこばんだりしたが
大男の容赦しなかった襟首つかんで無理矢理山へ行かされた。

 東京育ちの母と共謀し、中学を出ると源兵衛は家を飛びだし上京したが、東京の生活にも馴染めず、源兵衛は結局鷹匠になる気
になり、また飯豊へ戻ってきたのである。

 一度外から鷹匠を考えたことで源兵衛は、考える鷹匠になり、考えることで深味に入っていった。かつて鷹は米一俵馬一頭という価いだったが
.鉄砲がふえるにしたがい獲物も少くなり、鷹の値も落ち、戦後は暮らしも成りたたぬありさまになった。

 ついには女房子供に逃げられたが、その頃にはもう源兵衛は鷹と別れることが出来なくなっていた。それから源兵衛は鷹に打ち込んでいった。


矢島流鷹術

 矢島流鷹術は贋の猟能と飢餓のバランスを巧妙にとることである。
 捕らえた獲物をつかんで鷹が飛びさらぬために、余力を持たせないように餓えさせておく。家に伝わる秘法はほとんどその餓えさせる術といってよかった。

 源兵衛の父はそうした鷹の体力を管理することにたけており
.ぎりぎりのところで鷹をつかう名人だった。一目見るだけで鷹の餓えの限度を正確につかめるのであり、彼がつかうと鷹は余分の動きがなく、猟が美しかった。

 源兵衛は鷹を餓えだけでつかおうとせず、威によってそれをやろうとした。
 餓えて飛びにげる余力がないので
.主人が駈けつけるのを待つのではなく、主人がくるまで獲物を守ることを、威で教えこもうとしたのである。

 源兵衛の手にかかると
.どんな鷹でもたちまち従順な空の狩人のようになるのだった。しかし源兵衛はただ従順なだけではもの足りず、従順で勇猛な鷹をのぞみ、次第に気性の荒い熊鷹を求めだした。

 鉄砲打ちの猟犬に負けぬ鷹をさがし、越後から朝日山地、奥羽山脈を放浪しはじめた。そして遂に飯豊の二つ峯で、のちに金剛号と名づけた熊鷹を得たのだった。

 五歳になると金剛号は、目も黄金色になったばかりでなく、翼も陽をうけると金色に輝きだした。青い空から一直線に獲物へ降下して行く金剛号は、あたかも黄金の弾のようだった。千米はなれていても金剛は、源兵衛の心を知ることが出来、忠実そのものだった。

 体も年々大きくなり、不思議な威圧を備えた態鷹になり、源兵衛以外の人間に自分を決して触れさせなかった。猛々しい仔牛ほどもある猟犬でも、金剛の前では吠えかかれず、尾をたれ神妙になるほどだった。


源兵衛・鷹術の誤り

 五年前のある日、源兵衛は地神山で一と休みしている折、仔熊とぶつかった。
 そこは頼母木川へそそぐ谷川で、あたりは一面の紅葉だった。金剛号をはなし、ほとんど水のかれている川ぞこで、火をおこしかけたとき、川下のほうから仔熊が、源兵衛のほうへ駈けて
きたのである。

 ほとんど同時に金剛が、岸の樹上から仔熊にむかって飛びたった。こういう場合の危険を防ぐ法を仔熊も生れながらにもっている。たちまち岸辺の繁った樹の下へ逃げこみ
.金剛が高く舞いあがると、川下へと逃げだした。めずらしく失敗した金剛は8の字をかいて空へのぼり、源兵衛のほうへおりてきた。

 源兵衛は金剛の諦めのよい態度が気に入らなくて、金剛にきびしくもう一度仔熊を追わせたのだった。川幅は三間ほどで両岸から樹々の紅葉した枝がのびているが、大きな随道のようになっており、十分そこを飛べるのである。たちまち金剛は飛びたち仔熊を追った。

 金色の金剛は谷川に沿
って、右方のほうへ曲って消えた。ほとんど同時にすざまじい熊の咆哮が山に響き渡った。
 親熊が居たのである。
 金剛はそれを知ってためらっていたのである。彼にきびしく命令され、親熊に襲いかかったに違いない。


 源兵衛は岸へ駈けあがり、金剛を呼びながら谷ぞいの林を走った。
 谷川の曲り角までくると紅葉の樹々のむこうの谷川を、あわただしく仔熊二頭を連れて逃げて行く大熊のうしろ姿が見えた。
 金剛は谷川の岩の岸の下で、無惨にも叩きつぶされ、息絶えていた。


 矢島源兵衛はそのショックから容易に立ちなおれなかった。
 熊に襲いかかって行くような馬鹿な真似をする熊鷹などいるわけがない。それに金剛はいちど親熊をみて引きかえしてきたのである。
 それを源兵衛がまた攻撃させたのである。
 もし源兵衛が父のようなつかいかたをしていれば、稀代の金剛を死なせはしなかったのである。源兵衛は自分の鷹術の誤りを悟り、それで鷹をやめて放浪しはじめ、放浪しはじめると、鷹仙人とか鷹仙とかよばれるようになった。

元鷹匠 門多を弟子に

 門多は、この柴沢山の源兵衛のところへ。しげしげ出かけるようになった。源兵衛は鷹との世界へ自分が戻る気持はなかったが、無欲でひたむきなこの少年に愛を覚えだした


 それに源兵衛はいま一つのやりのこした方法を持っていた。
 それは深い愛情によって鷹に獲物をとらせるという方法である。若い頃、源兵衛は父から与えられた巣子を育てたことがある。ひよわでよく鳴く熊鷹で、父からもよく「鳴かせるな」と叱られたものだった。

 やがて獲物をとりに雪山へ出かけるようになっても、ピッピッとむやみに鳴き、獲物に居所を教えてしまう。そして小兎を襲って抑えこむと、さあみてくれ、おれがとったんだよというように、やかましく鳴きたてる。
 むろんそんなふうでは数もとれないし、大した獲物もとれない。その駄目な赤津号という熊鷹は、たったいちどだけだが、はじめて獲った野兎を、よろよろ飛びながら、おれの獲物をみてくれというように、源兵衛の足許まで運んできたことがある。


 猟をなりわいにしないのなら、獲物の数にこだわることはない。
 数にこだわらなければ、鷹と仲間になれる。
 仲間の鷹が友達の人間をよるこばそうと、獲物をとってくるということがあるかもしれない。もしいまの源兵衛なら、赤津号をそんなふうに育てることが出来そうに思われるのだった。

 それに門多は無欲でひたむきなばかりでなく、優しさからのこまやかなところがあって、どことなく動物に好かれるものを持ちあわせている。動物と通じ合うためになによりも必要な心づかいや交流のスピード、波長がよいのである。

 源兵衛は門多がやってくると、その新しい鷹と仲よしになる方法で、応対してやるようになった。


熊鷹をとる方法

 熊鷹をとる方法は、大きくなったのをとるのと、六月の半夏の頃に雛をとりに行くのとある。

 大きくなった熊鷹をとる方法は、いく通りもあるが、網をコの字にはって、その中に兎か鶏を入れて熊鷹をよびこみ、熊鷹がかかると網を倒してつかまえる。

 親と一緒に育
った熊鷹は、親に仕込まれているので、よほどのことがないかぎり、自分より大きいものは襲わないが、猟は上手である。しかし人となかなか馴れないので、餓えさせてつかうより手ばやい方法はない。
 たいてい人に気をゆるさないので、鳴かなくなる。勝手に生きていれば、何十年も生きられるが、人につかまると二十年も生きられない。元気なうちに自然にもどしてやらないと可哀相だろう。

 巣の子をとるのは、はやいほうがよく馴れるが、おさないほど育てにくい。二十日目くらいの時が安心だ。巣の中の子をとりに行くときは
,親をよく注意してないと命を落すことがある。

 熊鷹は千米くらい離れていても
.あっという間に戻ってくる。親が出かけていったので、いいだろうと思って、巣の樹へのぼるとすぐ戻って、襲ってくることがある。

 いちばんよいのは、親が両方とも巣にいる時だ。母鷹が巣にいて、巣の上の枝に父鷹がとまって落し餌をしているようなとき、下で火をたいていぷすとよい。すると親たちは巣から逃げだして行く。そこをねらって煙の中をのぼって行ってとるんだ。

 巣からとった子は、すぐなつくかわりに
,よく掃きすぎる。熊鷹というものは.とくに巣からとった子は、人を写すんだ。きびしく育てるときびしい気性の仔に育つし、荒っぽい態鷹になってしまう。 愛情を持って育てると、乾坤も愛情でこたえるようになるわけだ。

 鷹と一体になって、鷹の心が自分の心のようになればいいんだ、自分の感情を鷹におしつけたり、鷹がわからない無理を求めると、鷹はくるって育ってしまうから、ちゃんと気をつけないといけないよ、などなどと話してやる。


 乾坤はこの冬から猟が出来るようになるが.一人前になるのは、まだ五六年さきである。
 そう自分が生きていられるかどうかわからないから、三年くらいを目標にして、源兵衛は矢島の家に伝わってきたもの、自分が発見したことなどを、門多にのこしてやろうと思いだした。
 その気持が俄かに強くなってきた。

熊鷹の調教、威と愛

 鷹をつかう方法は、鷹をまず飢えさせることからはじまる。

 飢えた鷹を放つと、餌を求めて獲物に鷹は襲いかかって行く。
 鷹の体力が衰えてないと、鷹は自分の獲物をもって逃げてしまう。
 獲物を抑えこむのがやっと出来る程度に飢えさせるのが、鷹をつかうコツな
のである。むろん飢えているのだから、すぐ出かけて獲物をとりあげなければ、獲物をたべはじめる。

 もとよりただ獲物をとりあげては鷹も獲るのがいやになるだろう。そこで獲物の一部を切りとって与えてやるのである。鷹が飢えながらも自分の獲物をすぐにたべな
いのは、鷹の習性でもあるが、飼主との力関係なのである。

 生きものたちの中には、そういう力関係のようなものがあって、鷹の羽音をきくとすくんで動けなくなる小動物がいる。それとおなじように、鷹が自分の言うことをよくきくように育てるために、生きて行くた
めに必要な餌でコントロールする。

 飼主だけが餌をくれるのだから
,飼主が命の綱であり、命令にしたがわないと餌がもらえなくなることを教えこむのである。そのためおさない頃に、暗いところで訓練をする。暗くなると鷹は、すぐれた武器の目がみえなくなるので、不安のために気よわくなりがちである。人にすがる気持ちも生れてくる。

 そこを利用して、命令をきくように訓練する。よく命令をきかせるためには、おそろしがらせるより、自発的に命令をきくほうが、よほどきずなが深くなる。おそろしさを感じさせるだけでなく、鷹を愛してやることが同時に必要なのである。

 熊鷹は利口であって、人の心と言葉も必要なものはわかるようになる。狩りの首尾がよければ主人とおなじようによるこぶし、獲物をとりそこなって叱られ馬鹿者よばわりされると奮起する。威と愛とが一つになり、鷹の気性にうまく合えば、鷹は飼われた道具となるのである。餌を与えること自体も威なのであり、小さい小屋で育て、広い空間を与えないことも威なのである。


 源兵衛は若い頃、威というものをそういう餌や小屋、きびしい訓練などによらず、精神的な威厳と鷹に一目おかせ信頼させることで、鷹をつかうべきだと考えた。
人は人なのであり、鷹は鷹なのであり、人が鷹を道具につくりかえてよいという権利はないのである。源兵衛は鷹を友としたのだが、鷹には人の友でなければならぬ必要はない。源兵衛の理想はうちくだかれ、源兵衛は鷹と別れたのである。

 鷹と訣別してみて源兵衛は、威ではなく愛によって本能的な基礎をつくることによる方法を思いついたのだった。深い愛をそそいで餌の管理も行なわず、放し飼いにして育ててやる方法である。


 今、乾坤の小屋を広く快適にしようというのも、そういう理想によるものだった。むろん小屋ばかりでなく、餌の管理方法も鷹が短命にならないように改善しなければならない。
 寿太郎たちは狩りで生計をたてようとしているわけではないのだから、いかに沢山の獲物をとるかというようなことを考えなくてもよい。ほどほどに狩りをしてくれる鷹であれば、それでよいのである。

 しかしこういう源兵衛の考え方を理解させるのは、そう簡単なことではない。そのうえ乾坤のノイローゼを解消して、正常な狩りをさせるようにするのは、容易なことではない。かなりの日数が必要なのである。源兵衛は郷里に帰らなければならないのだから
.いつまでも滞在していることは出来ない。ともかく小屋を建てながら、寿太郎たちのためになる方法を考えよう。そういう気持になったのである。

師匠・源兵衛との別れ

 いつも夕飯のあとは、炉端で火にあたりながら、源兵衛は鷹の話や狩りの話をする。しかしその晩からは、専ら源兵衛は乾坤への餌のやり方と、友として長くつき合うためには、ほどほどの期待が肝心であることを、あれこれの例をひき、寿太郎たちにこんこんと教えこんだ。


 日中は、門多と寿太郎の三人で、乾坤と五郎太を連れて、雪の少ない山をえらんで、兎とりに出かけていった。五郎太が山の中を走りまわり、兎を追いだすのを乾坤が抑えこむのである。乾坤はそのうち大物好みのところがなくなり、的確に兎を獲りだした。

 五郎太
が追いたてると、その様子で猟欲が解発されだし、目には見えないが、五郎太と一脈通じ合うところが出来てきた。わずか数日で乾坤は落ちこんだ奈落から脱げだし、門多の腕のうえで、五郎太よりもはやく兎を見つけるほどになった。獲物を見つけると、ばちっと瞬きをして、門多の腕のカケをぐっと締めつけ、門多の命令を待つようになった。

 ここまでくれば、あとはよい狩りの習慣を身につけさせればよい。それは門多と寿太郎がしてやらなければならぬ愛の仕事なのである。それにはや二十五日になっている。
 源兵衛が出発しなければならない日が来たのである。

 前夜源兵衛は、寿太郎と門多のために、最後の話をした。
 四月の下旬になれば、羽根がぬけかえだすので、整翼をしてやらなければならない。嘘声や羽根の色艶、糞などで体調を知る方法、さらに翼の折れた時の添え木のしかたから、恐しい寄生虫のことなどを、こ
まごま話しながらメモをのこしてやった。

 その朝、朝餉を終えたあと、旅の支度をし、寿太郎に送られ、源兵衛は表に出た。
 門多は裏の畑のところで、乾坤の運動をさせている。この二日ほど前から門多と乾坤は、急に深い仲になってきた。
 裏にまわると乾坤は心地よさそうに、晴れた春空を翔んでいる。ま
るで大鷲みたいに悠々と輪をかきながら、ぐんぐん上昇して行く。そして突然高い空から翼をたたみ、真逆様に落ちはじめた。山の頂きが近くなり、あわやぶつかりそうなところで、ぱっと翼がひらき、すうっと蟻巣山の尾根近くの一番大きく聳えた杉の樹のてっぺんにとまった。ひと息つかせると、門多が握りこぶしをつくった腕を構えて、
 「乾坤っ」
 と叫ぶ。ほとんど同時に乾坤はぱっと飛びたち、一直線に門多の許へ戻ってくる。翼を縦にしてちぢめながら、門多の腕へとまる。その乾坤をまた翔ばせ、遥か彼方から呼びも どす。乾坤はそれをたのしんでいる。目には見えぬが、ふたりの間には太いきずなが出来ている。なかなかの鷹匠ぶりなのである。

 源兵衛は、それを凝っと眺めながら息をとめた。
 こういうきずなこそ、人と自然との融和なのであり、自然を理解する術なのである。
 実に得がたいこの術を、時代が捨て去って行くのだろうか。
 それほど人は自らの中の自然に気がつかないほどおろかなものなのか。

 この想いは数年前、鷹に別れた頃から、繰返し心にうかべたもので、なにも新しい想いではないのだが、源兵衛の老いた顔にあかみがさし、目は幽かに輝きだした。

 おい門多、がんばれよ。

見馴れぬ熊鷹

 白い雪の中に点がぴくぴく動いている。野うさぎの耳の先である。ほとんど同時に乾坤が翔びたった。うさぎが驚いて雑木林のほうへ逃げだした。乾坤が力強く翼をつかった。乾坤は遠かった。うさぎは雑木林の斜面をのぼりかけたところで、乾坤につかまった。雪が飛び散り.うさぎがものすごくやかましく悲鳴をあげた。瞬間寿太郎が、
 「この馬鹿っ垂れっ」
 と鉄砲をとりざま叫んで立ちあがった。そのまま杉林の中から眩しい平地の深い雪の中へ駈けだしていった。

 見馴れぬ熊鷹を放した者がいるのである。
 雑木林の上のクヌギ林のとこから、見馴れぬ熊鷹が飛びだし、うさぎを獲ったばかりの乾坤にむかって突っこみだした。革のアシカをつけた三歳くらいの熊魔で、柄も大きく、乾坤を狙っている。

 むろんこんな魔のかけかたはない。こんなかけかたをすれば、熊鷹同士のたたかいになるのはわかりきっている。それに獲物を抑えたほうが、すこぶる不利なのである。もう熊鷹と乾坤の距離がつまりすぎており、鉄砲がつかえない。
 寿太郎は必死で雪の中を駈けながら、泣きだしそうな顔になった。乾坤が殺られる、殺される。乾坤は柄こそ大きいが、経験がとぼしすぎる。


 寿太郎は雪に足をとられて転びながら叫んだ。
 「乾坤、逃げれっ」
 乾坤はその一瞬、ぱっと左脚をあげて爪をひろげて構えた。襲いかかった態鷹と乾坤はぱっと羽毛を散らしてぶつかった。
 ひとかたまりになって雪の中へ羽導きながら転がった。
 くるくるっと重なり合って転がるうちに勝敗は決していた。

 起きあがった乾坤の足の下で首をつかまれ、襲いかかった熊鷹は、あえなく最期をとげていた。最初の一撃で乾坤は不用意に突っこんだ熊鷹の首を折ったのだった。


(やがて、キチガイと化した片目熊に、息子・門多を殺され、寿太郎は仇をうつために執拗に片目熊を追う。そしてついに片目熊は、猟犬・五郎太とともに雪崩に呑み込まれる。)

片目熊の最後

 「あの木のむごうさ五郎太と片目が落ぢだ」
 と折れた松を指さした。
 寿太郎は鉄砲を腰に構え、乾坤を放し、その崖下の折れた松に近づいた。
 中空へ飛びあがった乾坤はすぐ戻ってきて、根もとから折れた松の倒れた枝へとまった。どうやらそのあたりに片目熊は居ないらしい。寿太郎は松の上を通り、岩場へ行き、そこいらあたりの折れた木や潅木を谷へ落しはじめた。

 いきなり潅木の下から岩場に叩きつけられ雪に下半身埋もれた片目熊があらわれた。あっと飛びさがり鉄砲を構えたが、束の間その鉄砲をだらりとおろし、寿太郎はまた片目熊のほうに近よっていった。

 そして寿太郎は片目熊の死体を見下しながら身じろぎもしなくなった。
 いったいこれはどういうことなのだろう。
 だらりと舌をだし、目を半ば閉じて死んでいる片目熊が、その胸もとに五郎太を抱えこんでいるのである。

 それも殺そうとして抱えこんだのではなく、五郎太を守るように抱えこんでいる。親が雪から仔を守っているような優しい気配がその抱き方にあふれているばかりでなく、抱かれた五郎太にはあまえているようなやすらいだ感じがあるのだった。

 たしかに五郎太は寿太郎のために片目熊に飛びかかっていったのである。雪崩がおこる前、崖の上のほうで片目態と五郎太の咆哮が闇えていた。それが雪崩と倶に親子のような仲になったというのだろうか。そこにたしかに天の理のようなものが感じられて、寿太郎は凍てついたような気持ちになった。

 こういうことを心にとめていなかったばかりに、門多や五郎太を殺してしまったのである。寿太郎は天を仰ぎみるように、おそるおそる崖を見あげた。崖の上から岩場までは、四十米ほどの高さである。雪崩れる雪の中で、片目態が五郎太をかき抱える様子が、はっきり見えるように寿太郎にうかんだ。

 これまで片目熊を憎悪しつづけたことが、ひどく悔まれてくる。その時、下の沢のほうから、


 「おーい」
 という声がし、夏油の温泉宿の顔見知りの連中が雪崩れた雪の横の斜面を近づいてきた。岩場のむこうにあがってきた三人の男たちが、片目熊をみて歓声をあげた。
 「やった、やった、件の仇を討ったなや」

人も獣も草も木も鳥も魚も、みなこの地球の子


 坂道を転がり落ちたとき、胸をしたたかうったせいか、ひどく胸苦しい。牛形山から裾へ下り、また尾根へと歩きながら、寿太郎はぼんやり雪を踏む音を聞いていた。

 しかに片目熊はかたづいた、門多の仇を討ったのである。
 しかしそのよろこびがわきあがらず、奈落の底へ落ちて行くような心地がまとわりついてくる。今日からもう寿太郎はなにひとつすることがないのである。


 そのうえあの五郎太をわが仔のように抱えて死んだ片目熊のいじらしい姿が、脳裏からいつまでも消えない。

 もともと人も獣も草も木も鳥も魚も、みなこの地球の子なのである。

 好んで殺し合うわけがない。
 片目熊にしたところで、もとはといえば自分が片輪にしたのである。
 そんな片目熊を殺して、門多の仇を討ったとよろこべるわけがない。
 寿太郎は暮れかけた雪山の中で時々立ちどまり、かなしげに見馴れたあたりを見まわした。見馴れた樹や潅木や岩が、なにか寿太郎を怖れてしいんとなっている。片目熊とおなじようにみんなが自分をおそれている。


 やがて雪がちらつきだし、あたりが薄暗くなり、はげしい冷えこみがはじまりだした。
 寿太郎はそのうちぶつぶつ口の中で、おらごそ片目熊だおらごそ片目熊だとつぶやきだした。

 やがて蟻巣山と三界山との峠をこえると、雪はさんさんと降りだし、あたりは雪明り
だけになり、寿太郎の顔にも雪がこびりつきはじめた。
 雪のたまった眉の下のよどんだような目で、いちど寿太郎は雪の彼方のわが家の灯を見た。しかし寿太郎の足は遠くなるどころか、そのあたりから急に重くのろのろしたよろめくような足どりになった。

 腕がさがりカケにとまった乾坤が、たまりかねて雪の中へ飛びたった。
 寿太郎は乾坤が飛びたった
ことも気づかず、腕をあげたまま雪の中をよろよろとわが家へ近づいていった。

 もう寿太郎はもうろうとなっており、ただ足が動いているだけというふうだった。
 そして束の間、おらこそ片目熊だと念仏のように咳きながら、
 意識をうしない、深い奈落の底におちてい
った。

(物語は、まだまだ続くが・・・原作を探してお読みください。)