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  Keep the woods , make the most of water

− 七滝用水と「七滝山」 −


 七滝用水は、秋田県仙北郡六郷町、仙南村、千畑町(現美郷町)、仙北町、大曲市(現大仙市)の5市町村に及ぶ用水で、そのかんがい面積は1,640haである。この地域を東西に走る丸子川を唯一の水源と し、六郷町(現美郷町)・丸子川上流にある頭首工により取水、丸形に水を分ける施設(円筒型サイフォン式分水工)により、水田面積に応じて7本の水路に配られる。
 丸子川は数本の支川から成り、またその支川は水源涵養保安林「七滝山(七つの滝を持つことから)」と3つのため池により常に安定した水量を保っている。
 
”「七滝山」を流れる渓流”
 森に貯えられた水は徐々に流れ出し、安定した水量を保つ。この水が田を潤し、そして生活を潤してくれる。
”御台所清水(六郷町・現美郷町)”  
 名水百選の一つ。年間を通して枯れることはない。町民にとって憩いの場であり、生活の場でもある。
 山林を保護し整備していくことは、自然災害を未然に防止すること、「水」を生産することにあると考えられる。昭和60年「日本名水百選」に選ばれた六郷町(現美郷町)の湧水群の湧き出る水も源は七滝水源涵養保安林にあるものと確信し、農業用水だけでなく一般住民の生活にも深く浸透しており、その恩恵は計り知れないものがある。
”円筒型サイフォン式分水工”
 この施設により各地域へ平等に水が振り分けられる。
”分水工から流れでる水”
 近くで見るとその勢いは相当なもの。この水が美味しい米を育む。
”七滝用水を潤す「七滝山」”  ”七滝用水の恩恵を受ける田”

 七滝用水の歴史は古く、江戸初期慶安元年(1648)に潟尻沼を造ったことに始まるが、水源を保護するため、藩は寛文3年(1663)に七滝山の一部の森林伐採を禁止する御制礼 をだした。しかし、『水野目山』という記載がなかったため、度々禁制を破って様々な口実・手段によって伐採する者がいた。その当時は、生活に使う火力として薪がもっぱら 利用されており、また木材売却による貨幣収入も相当なものだったからだ。

 そこで寛政12年(1800)、七滝山を『水野目山』(水源を涵養する森林)として、当時17ヶ村(今の六郷町、仙南村、千畑町(ともに現美郷町)、仙北町(現大仙市))が銀1貫300匁で藩から御制礼ともに買収し、 各村々の肝煎(名主)がこの森林の管理を行った。その後、明治40年に「七滝山」は『水野目山』から『水源涵養保安林』と名称変更し、同時にその指定を受けた。
 

 山に木がなくなれば、地面が落ち葉や木の根などにより保護されず、雨が降ればすぐに表面の土が雨水と一緒に川に流れ出してくる。つまり、雨が地中にしみこんでいく前に 山から川に直接流れ去ってしまい、地下水として徐々に地表に出てくる水が減ることになる。そうなれば、いくら雨が降って雨が上がった後に使いたいと思っても、その時に はほとんどが流れ出てしまって使えなくなってしまう。
 そして、森林の管理を怠ることでも同様のことが言える。大正末期から昭和初期にかけては、水田面積の増加に水源山林の荒廃が相まって用水不足を来たし、毎年流血惨事を 巻き起こすなど惨たんたるものがあった。

 「毎年水不足に悩まされ、春の雪解け時から9月中旬頃までは親類、友人、隣人であろうと見境なく水引争いの連日であり、隣接市町村の人々とは流血惨事を引き起こす騒ぎに巻き込まれることさえ度々ありました。」

(武藤勝治前々七滝土地改良区理事長の言葉より)
 現在「七滝山」は七滝土地改良区がその管理を行っていて、管理面積は251ha。毎年春秋に、作業道の整備や下草刈り、また、保安林指定を受けているため、県事業として現在 は年に0.3〜1.0ha程杉の植林が実施されている。過去に植林したブナの林も順調に育っている。
 
”植林されたブナ林”
 その落ち葉や地中広く張り巡らされた木の根は土壌の流出を防ぎ、水を貯える。
”七つの滝”
 七つの滝を持つことから「七滝山」と呼ばれる。
”稲刈りを待つ仙北平野”
 県内有数の米どころである仙北平野は、その農業のほとんどを米に依存しており、米作りに不可欠な水の安定供給は農家にとって切実な問題である。
”はさ掛けによる乾燥”
 自然乾燥された米の味は格別。美味しい米も一朝一夕では出来ない。安定した水を与えてくれる森林と、その森林を何代にも渡って守ってくれた先人達の努力のおかげである。

 参考文献:「仙北土地改良誌」 仙北土地改良協会
 取材協力、写真提供:七滝土地改良区 

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