平成20年度 平成21年度 平成22年度 平成23年度  平成24年度 平成25年度 平成26年度 平成27年度
平成27年度には以下のイベントを開催しました。

たくさんのご参加ありがとうございました。

 平成27年度イベント情報ポスターです。
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H27企画展ポスター
(9.99MB) 
H27イベント情報
(3.14MB)
 

平成27年度秋田県埋蔵文化財発掘調査報告会


 報告会チラシ①PDF
  鳥取環境大学の浅川先生、弘前大学の上條先生による特別報告をはじめ、今年度発掘調査した片貝遺跡・片貝家ノ下遺跡(大館市)、トクラ遺跡(東成瀬村)などの調査成果を報告し、出土遺物や写真パネルを展示します。また、石器づくりなど子どもから大人まで参加できる考古学体験教室も同時開催しました! 
日時  平成28年3月13日(日)  10:00~16:30
報告会チラシ②PDF 
会場 秋田県生涯学習センター ※会場案内図→こちら
住所:秋田県秋田市山王中島町1-1
電話:018-865-1171
   【報告会場:3階講堂   展示・体験教室:地下1階】 
特別
報告
特別報告1 建築考古学からみる片貝家ノ下遺跡の埋没建物跡
        鳥取環境大学環境学部教授 浅川 滋男 氏

特別報告2 八郎潟周辺の縄文時代晩期
        弘前大学人文学部准教授  上條 信彦 氏

報告  今年度発掘調査した遺跡の調査成果を報告します。
報告① 史跡秋田城跡(第106次調査[秋田市]
報告② 史跡払田柵跡(第149次調査)[大仙市・美郷町]
報告③ 片貝遺跡[大館市]
報告④ 片貝家ノ下遺跡[大館市]
報告⑤ 金沢城跡(第7次調査)[横手市]
報告⑥ トクラ遺跡[東成瀬村]

報告会資料
展示 報告遺跡のほか、次の遺跡も併せて展示します。
上谷地遺跡[由利本荘市]
土飛山館跡[大館市]
井岡遺跡[由利本荘市]
上掵遺跡[東成瀬村]
平影野遺跡[能代市]
滝沢城跡[由利本荘市]
 
考古学
体験教室
      
H26 「ミニ・ストーンサークルをつくろう」にチャレンジ!
H26 石器づくり体験  H26 縄文土器復元体験 
 主催 秋田県埋蔵文化財センター 
 協力 鳥取環境大学環境学部、弘前大学人文学部北日本考古学研究センター
秋田市教育委員会、横手市教育委員会、由利本荘市教育委員会
大館市教育委員会、能代市教育委員会、東成瀬村教育委員会
由理柵・駅家研究会
  

         
満席となった報告会場  展示・考古学体験会場の様子 
         
考古学体験教室  ミニストーンサークルを作ろう  石器づくり体験  縄文土器パズル体験  記念写真コーナー 
※写真は平成26年度の様子です。 


秋田県埋蔵文化財センター

2月14日(日)講演会開催!

「十和田火山泥流と片貝家ノ下遺跡」

 大館市比内町の片貝家ノ下遺跡で発見された平安時代の埋没建物跡を考古学、地理学そして火山学の立場から公開する講演会「十和田火山泥流と片貝家ノ下遺跡」を開催します。

 片貝家ノ下遺跡(かたかいいえのしたいせき):大館工業団地造成事業に先立って、秋田県埋蔵文化財センターが確認調査のため発掘調査した片貝家ノ下遺跡では、平安時代の竪穴建物跡が発見されました。特に、十和田火山(湖)から噴出した火山灰(シラス洪水)に覆い尽くされた建物の屋根がそのまま見つかっており、当時の住宅の構造を知る上で第一級の遺跡です。

 日時 平成28年2月14日(日)午後1時30分~4時20分 
     講演会ポスターPDF
 受付 午後1時~
 会場 大館市民文化会館中ホール ※会場案内図はこちら 
    住所:〒017-0822
         秋田県大館市字桜町南45-1
            TEL:0186-49-7066 
 報告 報告1「片貝家ノ下遺跡の調査概要」
     報告 秋田県埋蔵文化財センター 村上 義直
報告2「米代川流域の埋没家屋」
     報告 秋田県埋蔵文化財センター 髙橋 学 
 講演 講演1「地形環境からみる片貝家ノ下遺跡」
     講師 弘前大学教育学部教授 小岩 直人 氏
講演2「十和田湖の噴火と片貝家ノ下遺跡」
     講師 群馬大学教育学部教授 早川 由紀夫 氏 
どなたでも自由にご参加いただけますので、どうぞお越しください。
※入場無料。事前申し込み不要。 

関連事業

発掘調査写真展「片貝家ノ下遺跡」

 関連事業として、大館市内3会場で発掘調査写真展「片貝家ノ下遺跡」を開催します。

 大館市立比内公民館  1月16日(土)~3月13日(日)  会場案内
 大館郷土博物館  1月16日(土)~3月13日(日)  会場案内
 大館市立中央公民館  2月 8日(月)~2月28日(日)  会場案内



平成27年度



第3回「湯沢・雄勝の縄文文化」

 湯沢・雄勝地域の縄文遺跡の発掘調査成果を基にしながら、縄文時代の暮らしや社会、地域的な特色などを考える 

 期 日  平成27年10月17日(土)
 会 場  湯沢生涯学習センター 第1集会室(講演・座談)
              展示室(ギャラリートーク)
              湯沢市佐竹町4-5  TEL 0183-73-1132
 日 程  12:30~  受付
13:00  開会行事
13:10~14:00  講演(50分) 「湯沢市堀ノ内遺跡の発掘調査」
 講師:秋田県埋蔵文化財センター  加藤 朋夏
  14:00~14:30   座談(30分) 「湯沢・雄勝の縄文文化」
     秋田県埋蔵文化財センター  小林  克
                        加藤 朋夏
14:50~15:20  出張展示ギャラリートーク(30分)             「湯沢・雄勝の縄文文化」
                    解説: 加藤 朋夏
  15:20  閉会

*参加無料。事前申し込み不要、当日会場にて受付。

 
「湯沢・雄勝の縄文文化」
考古学セミナーチラシPDF
 
「湯沢雄勝の縄文文化」
考古学セミナー資料PDF

 
湯沢市堀ノ内遺跡の発掘調査について
講演する加藤氏
 
湯沢市秋ノ宮稲住の「サケ石」について
解説する小林氏

湯沢市堀量遺跡・臼館遺跡の出土品解説 

出張展示「堀ノ内遺跡」ギャラリートークの様子 


第2回「横手盆地の須恵器生産」

 ふるさと考古学セミナーの会場となる県立近代美術館を含む一帯は、須恵器窯跡が集中的に検出された地区です。本セミナーでは古代の土器生産に焦点をあて、生産や流通を通して見える古代地域社会の特質を考えます。

 期 日  平成27年9月12日(土)
 会 場  秋田県立近代美術館 6階 研修室(講演)
              5階 ふれんどりーギャラリー(出張展示ギャラリートーク)
              横手市赤坂字富ヶ沢62-46 TEL0182-33-8855
 日 程  12:30~  受付
13:00  開会
13:10~14:10  講演(60分) 「横手盆地の須恵器生産」
 講師:秋田県埋蔵文化財センター    利部  修
  14:10~14:30   休憩・会場移動(20分)
14:30~15:00  出張展示ギャラリートーク(30分)           「ふるさと村の地下から現れた古代」
                     解説: 利部  修
  15:00  閉会

*参加無料。事前申し込み不要、当日会場にて受付。


横手盆地の須恵器生産」
考古学セミナーチラシPDF
 

「横手盆地の須恵器生産」
考古学セミナー概要PDF
 

「横手盆地の須恵器生産」
考古学セミナー資料PDF
 

     
 講演会場の様子 講師の利部氏  出土遺物を解説する利部氏 


第1回「大仙・横手の縄文文化」

 大仙・横手地区の主な遺跡の発掘調査成果を基にしながら、大仙・横手地区で定住集落が出現する縄文時代前期の暮らしや社会、地域的な特色を考えます。


 期 日  平成27年7月25日(土)
 会 場  秋田県埋蔵文化財センター 2階 第1研修室(講演)
                  1階 特別展示室(企画展ギャラリートーク)
 日 程  12:30~  受付
13:00  開会
13:10~14:10  講演(60分) 「大仙・横手の縄文文化」
 講師:秋田県埋蔵文化財センター    榮  一 郎
  14:10~14:30   休憩・会場移動(20分)
14:30~15:00  企画展ギャラリートーク(30分)「横手盆地の三万年」-雄物川中・上流域の景観を復元する-
                     解説: 榮  一 郎
  15:00  閉会

*参加無料。事前申し込み不要、当日会場にて受付。

 
「大仙・横手の縄文文化」
考古学セミナーチラシPDF
 
考古学セミナー資料
「大仙・横手の縄文文化」
 

     
講師の榮氏  出土遺物を解説する榮氏  企画展の見学 


古代発見!バスツアー

第1・2回県北の遺跡探訪コース!

国指定史跡伊勢堂岱遺跡(北秋田市)と発掘調査中の片貝遺跡(大館市)を見学!

第3・4回県南の文化財探訪コース!
旧池田氏庭園・埋蔵文化財センター企画展・荒川鉱山跡(大仙市)を見学!

「県北の古代遺跡探訪コース」
 第1回 平成27年9月25日(金)9:00~16:30
 第2回 平成27年9月29日(火)9:00~16:30


①秋田駅東口(発)→ 秋田中央IC→五城目八郎潟IC→②道の駅かみこあに→③伊勢堂岱遺跡→④道の駅大館能代空港→⑤片貝遺跡→⑥上小阿仁村生涯学習センター→五城目八郎潟IC→秋田中央IC→⑦秋田駅東口(着)※各IC間は高速道路利用                                
   
白神山地の田代岳、藤里駒ヶ岳、八甲田山系を望む伊勢堂岱遺跡(北秋田市脇神)  
   
4,000年前の環状列石(伊勢堂岱遺跡)  
   
片貝遺跡(大館市比内町)の出土遺物  縄文時代の落とし穴(片貝遺跡) 
   
平安時代の竪穴建物跡(片貝遺跡)  調査中の落とし穴(片貝遺跡) 
 
「県南の古代遺跡探訪コース」
 第3回 平成27年10月2日(金)9:00~16:30
 第4回 平成27年10月6日(火)9:00~16:30


①秋田駅東口(発)→秋田中央IC→大曲IC→②旧池田氏庭園→③埋蔵文化財センター→④荒川鉱山跡→⑤道の駅協和→⑥秋田駅東口(着)※IC間は高速道路利用                      
   
平成16年に国の名勝に指定された旧池田氏庭園(大仙市高梨) 
   
高さと傘の直径が共に約4mの雪見灯籠
 (旧池田氏庭園) 
私設の公開図書館として建築された洋館
(旧池田氏庭園) 
   
埋蔵文化財センター企画展「横手盆地の三万年」-雄物川中・上流域の景観を復元する- 
銅山としての役割を果たしてきた荒川鉱山跡(大仙市協和)
荒川鉱山坑道内部の資料約390点が展示されている『大盛館』(大仙市協和)

平成27年度秋田県埋蔵文化財センター講演会
「縄文・弥生の道、古代の道」

 “道”といえば、「人や車などが往来するための所。通行する所」(『広辞苑』)であり、「道路」をイメージします。しかし、今回のテーマとする“道”には道路自体の話題もありますが、より広くとらえて人やモノが、どこからどのような経緯で秋田の地に入り込んできたのか、その流れ・動きも“道”と解釈してみました。対象とする時代は、縄文時代の終わり頃から弥生時代にかけてを根岸氏に、古代(奈良・平安時代)を荒木氏に担当いただきます。2名の講師は気鋭の研究者でありながら、平易な講話が持ち味の学者でもあります。是非、この機会に考古学の“道”を一緒に歩いてみませんか。

期日  平成27年9月6日(日) ポスター

(PDF1,804KB)
会場  秋田県生涯学習センター 3階 講堂 ※講演会案内図はこちら
                                秋田市山王中島町1-1
                                TEL018-865-1171
日程  開場13:00
 講演「縄文~弥生時代における人・モノの動き」
    講師 国際教養大学アジア地域研究連携機構助教        根岸 洋氏
 講演「古代の道‐奈良・平安時代の秋田と人々の暮らし‐」
    講師 山形大学基盤教育院准教授                  荒木志伸氏
 閉会16:00

*参加無料。事前申し込み不要、当日会場にて受付。

 
   
満席となった講演会場  講師の荒木氏(左)、根岸氏(右) 
   
講演する根岸氏  講演する荒木氏 


平成27年度出張展示


第3回「湯沢・雄勝の縄文文化」- (ほり)()(うち)遺跡 -

 堀ノ内遺跡は湯沢市上関にあり、雄物川の支流麓沢川右岸の沖積地に立地します。平成15、16年に3,250㎡が発掘調査され、縄文時代後期末から晩期前葉にかけての墓域が発見されました。遺跡からは大量の遺物と400基をこえる土坑墓、土器埋設遺構、配石遺構などが見つかり、埋葬や「もの送り」などの祭祀が長期間営まれたことがことがわかりました。土坑墓は大人の墓、土器埋設遺構は子供の墓と考えられています。また、大小の石を集めて並べた配石遺構は、県南部では確認例が少ないものです。遺跡には遺物を大量に含む土層(遺物包含層)があり、土器や石器などの日常品のほか、土偶、石棒、人面装飾付土器、動物形土製品などの祭祀用具も出土しています。また、未完成のものを含む多くの打製石斧が見つかり、この地域が石斧の製作地・石材採取地だった可能性があります。

会 期   平成27年10月10日(土)~11月8日(日)
会 場  湯沢生涯学習センター 展示室
 湯沢市佐竹町4-5  TEL 0183-73-1132

 
 堀ノ内遺跡発掘調査区(大小の穴は土坑墓や土器埋設遺構などがあった所です。) 
   
 発掘調査の様子  遺構が密集する部分
   
並ぶように掘られた土坑墓  SK73 土坑墓 
   
土器埋設遺構の集まり  SR87 土器埋設遺構 
   
SQ20 配石遺構  SQ41・42 配石遺構 
   
SK55 貯蔵穴  SK55 クルミ出土状況 
   
 遺物包含層土器出土状況 土器が集中する部分 
   
注口土器   石棒出土状況
   
 アスファルト入り土器 人面装飾付土器出土状況 



第2回「ふるさと村の地下から現れた古代」

 平成2年、秋田ふるさと村開村に先立ち、同地で発掘調査が行われました。ここでは古墳時代の墓や、平安時代の土器を焼成した窯跡群が検出されました。平成27年度は調査開始から25年の節目を迎えることを契機として、秋田ふるさと村の地下に埋もれていた資料を公開して、同地が古代において果たしていたことは何だったのか、探っていきます。

会 期   平成27年8月29日(土)~10月12日(月)
会 場  秋田県立近代美術館 5階 ふれんどりーギャラリー
 横手市赤坂字富ヶ沢62-46 TEL 0182-33-8855
*入場無料

     
ふるさと村開村に先立って行われた
発掘調査
 
富ヶ沢B遺跡窯跡  富ヶ沢A遺跡窯跡 
     
田久保下遺跡調査風景  富ヶ沢B遺跡遺物出土状況  富ヶ沢C遺跡窯跡 

   
第2回出張展示パンフレット 



第1回「にかほの古代・中世」

  にかほ市両前寺・平沢地区周辺で発掘調査された前田表遺跡、前田表Ⅱ遺跡、家ノ浦遺跡、家ノ浦Ⅱ遺跡、阿部舘遺跡、横枕遺跡、清水尻Ⅰ遺跡、清水尻Ⅱ遺跡、上谷地Ⅱ遺跡の平安時代~鎌倉・室町・戦国時代の出土品や写真パネルを展示し、古代・中世のにかほ地域の集落や社会の特徴を紹介します。

会 期   平成27年7月11日(土)~8月23日(日)
会 場  秋田県立図書館 2階 特別展示室

ギャラリートーク
日 時 講 師
7月11日(土) 午後1時30分から 山田 徳道 秋田県埋蔵文化財センター
8月 1日(土) 午後1時30分から 髙橋   学 秋田県埋蔵文化財センター


   
 
 
 
「にかほの古代・中世」ポスター  「にかほの古代・中世」パンフレット 

出張展示「にかほの古代・中世」ギャラリートークの様子 
   
ギャラリートーク 7月11日(土)  ギャラリートーク 8月1日(土) 
   
復元した縄文時代の貫頭衣を着て
古代~中世に関連した音楽を奏でる山田氏
 
漆紙文書(秋田城跡出土)の書状を再現し、
蚶形駅家(きさかたのうまや)を解説する髙橋氏
 


平成27年度秋田県埋蔵文化財センター講演会
「縄文・弥生の道、古代の道」

 “道”といえば、「人や車などが往来するための所。通行する所」(『広辞苑』)であり、「道路」をイメージします。しかし、今回のテーマとする“道”には道路自体の話題もありますが、より広くとらえて人やモノが、どこからどのような経緯で秋田の地に入り込んできたのか、その流れ・動きも“道”と解釈してみました。対象とする時代は、縄文時代の終わり頃から弥生時代にかけてを根岸氏に、古代(奈良・平安時代)を荒木氏に担当いただきます。2名の講師は気鋭の研究者でありながら、平易な講話が持ち味の学者でもあります。是非、この機会に考古学の“道”を一緒に歩いてみませんか。

期日  平成27年9月6日(日) ポスター

(PDF1,804KB)
会場  秋田県生涯学習センター 3階 講堂 ※講演会案内図はこちら
                                秋田市山王中島町1-1
                                TEL018-865-1171
日程  開場13:00
 講演「縄文~弥生時代における人・モノの動き」
    講師 国際教養大学アジア地域研究連携機構助教        根岸 洋氏
 講演「古代の道‐奈良・平安時代の秋田と人々の暮らし‐」
    講師 山形大学基盤教育院准教授                  荒木志伸氏
 閉会16:00

*参加無料。事前申し込み不要、当日会場にて受付。




秋田県埋蔵文化財センター 平成27年度 企画展開催中!


企画展『横手盆地の三万年

〔第Ⅰ期〕横手市神谷地遺跡の縄文文化
 会期:平成27年4月1日(水)~平成27年6月21日(日)
〔第Ⅱ期〕雄物川中・上流域の景観を復元する
 
会期:平成27年7月4日(土)~平成28年3月6日(日)
  会場秋田県埋蔵文化財センター特別展示室アクセス
開館時間:午前9時~午後4時 入館・解説無料
休館日:年末年始(12/28~1/3)・成人の日・建国記念の日・春分の日


〔第Ⅰ期〕横手市神谷地(かみやち)遺跡の縄文文化
 神谷地遺跡は、横手市雄物川町薄井にあり、ほ場整備事業に伴う分布調査で平成23年に新発見されました。横手市教育委員会は、平成24・25年に発掘調査を行い、縄文時代、弥生時代、古墳時代、古代、近世の複合遺跡であることを明らかにしました。
 神谷地に最初に足を踏み入れたのは、約6,000年前(縄文時代早期末~前期前葉)の縄文人でした。その後、約5,000年前の縄文時代中期には集落(ムラ)として、約3,000年前の晩期には墓地として利用されました。弥生時代・古墳時代には小規模な集落跡、古代・近世にも遺物散布地(集落の外縁部)としての場の利用が認められました。
 今回の企画展では、横手市教育委員会の全面的な協力をいただいて、主に縄文時代中期の集落とそこから出土した遺物にスポットをあてた展示を行います。中期集落の竪穴住居跡には特徴的な“いろり”(炉)が置かれます。70棟を超す住居跡のいろりの変遷と土器の形、文様はどのように変化していくのでしょうか。
 企画展『横手盆地の三万年』第Ⅰ期の展示をご覧ください。

企画展会場の様子~横手市神谷地遺跡~ 神谷地遺跡遺構配置図
4号竪穴住居跡(神谷地遺跡) 7・15・16号竪穴住居跡(神谷地遺跡)
19・20・21・25号竪穴住居跡(神谷地遺跡) 35・36・40・41・48号竪穴住居跡(神谷地遺跡)
50・53・54号竪穴住居跡(神谷地遺跡) 56・59号竪穴住居跡(神谷地遺跡)
60・61号竪穴住居跡(神谷地遺跡) 63・64号竪穴住居跡(神谷地遺跡)
遺構外出土土器(神谷地遺跡) 縄文時代中期の注口土器(神谷地遺跡)
縄文時代前期・中期の土偶、アスファルト・漆容器 縄文時代晩期・弥生時代の神谷地遺跡
赤漆の腰紐を巻いていた縄文人(神谷地遺跡) 縄文時代の石製品(神谷地遺跡)


〔第Ⅱ期〕雄物川中・上流域の景観を復元する
 秋田県内陸部に位置する横手盆地は、東を奥羽山脈、西を出羽山地に挟まれ、北に田沢湖を擁し、南に栗駒山や神室山が、そして南西端には霊峰鳥海山がそびえています。かつて“鳥海(とりのうみ)”という広大な湖を長者が開拓した伝説がある盆地では、3万年にわたり我々の先人達の営みが連綿と続いていました。それは盆地という母なる大地と、北流する雄物川からいただいた恵みだったからに他なりません。
 本企画展では、盆地内の様々な地形の景観を発掘調査された遺跡と出土した考古資料に基づいて復元する試みをテーマとしました。対象とするのは、今から約400~150年前の近世(江戸時代)をスタートに中世、古代、古墳時代と順に遡り、最後は3万年前の旧石器時代です。
 この展示を通して、人々とそれをとりまくモノ・環境を含めた景観がいくらかでも皆様の心に刻まれれば望外の喜びです。企画展『横手盆地の三万年』第Ⅱ期の展示をご覧ください。

沖田(おきた)Ⅰ遺跡(大仙市北楢岡字沖田、旧神岡町)
 横手盆地の北西部、雄物川右岸の標高21m程の微高地に位置します。ほ場整備事業に伴い、大仙市教育委員会が平成22年に発掘調査を実施しました。
 その結果、掘立柱建物跡や井戸跡、土坑などと埋没していた河川跡が見つかり、主として近世(17世紀代)の集落跡であることが判明しました。
 河川跡は、集落内を北から南に向って流れており、幅約18~20m、深さ1.1~1.8mありました。掘立柱建物等は河川両岸に並びます。近世の沖田集落とは、見つかった河川が雄物川本流に向って延びていること、南側には羽州街道が位置すること、遺物のなかに一般的な集落では出土しないような南蛮人形水滴(織部焼)や花生け(唐津焼)が見られることから、物資集積に関連した河川交通の拠点であったと考えられます。
茂竹沢(しげたけざわ)遺跡(横手市山内土淵字茂竹沢、旧山内村)
 横手盆地の東部、雄物川支流である横手川左岸の標高110~120mの段丘緩斜面部に位置します。秋田自動車道建設に伴い、平成3年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、縄文時代(後期)と中世~近世の遺構・遺物が見つかりました。中世~近世には、掘立柱建物が造られます。ここでは斜面の高い方を削り、低い方に盛土して石垣を組んで平坦面を造った上に建物を建てています。建物は何時期かの変遷があり、16世紀~18世紀頃まで存続していたようです。
 菅江真澄の『雪の出羽路』には、「茂竹に寺ノ跡あり、そこを古寺山という。そはいかなる寺とも古老の伝えもなし」とあります。遺跡の位置や時期を考慮すれば、本建物跡はこの地を19世紀の初めに訪れた真澄のいう「寺ノ跡」であった可能性もあります。
西板戸(にしいたど)遺跡(大仙市南外字西板戸、旧南外村)
 横手盆地の北西部、雄物川支流である楢岡川左岸の標高20mの低位段丘上に位置します。堤防建設に伴い、平成26年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、中世~近世の掘立柱建物跡、井戸跡、土坑墓等が見つかりました。近代(明治時代)の遺構・遺物も発見されていることから、本集落は鎌倉時代に形成され、室町時代、江戸時代にも引き継がれ、最終的には現在の西板戸集落に連続すると考えられます。なお、近世の西板戸は、雄物川舟運にかかわる「船調役所」が置かれていたと記録があります。
館堀城跡(たてぼりじょうあと)(湯沢市寺館字館堀、旧雄勝町)
 横手盆地の南東部、雄物川支流である役内川右岸、標高165mの沖積地に位置します。ほ場整備事業に伴い、平成11年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。 
 その結果、二重の堀と土塁で方形に囲まれた内部に掘立柱建物跡、柱穴列(塀)、竪穴状遺構、土坑等が発見されました。外堀で囲まれた区域は、東西180m×南北120m、内堀で画された内部は東西約130m×南北90mあります。遺構の配置と出土した遺物から13世紀~16世紀の平地居館跡とされますが、中心的な時期は鎌倉時代(13世紀)です。
 菅江真澄『雪の出羽路』雄勝郡の「寺沢ノ荘」には、「此宮地はもと出羽郡司小野良実の旧館跡也。其後小野寺家の菅(かん)ノ内記居(すみ)て二重ノ堀あり、ここを縦堀といふ」とあります。この記録に基づけば、館堀城とは古代(平安時代)に郡司の館として造られ、鎌倉時代に入ると小野寺氏家臣の居館として利用されたことになります。なお、小野良実とは、平安時代の女流歌人である小野小町の父とされる人物です。
 館堀城は、菅ノ内記の居館跡かどうかは明らかにはできませんが、遺跡の位置や時期を考慮すれば、小野寺氏一族の居館であった可能性は高いと思われます。
薬師(やくし)遺跡(大仙市神宮寺字薬師、旧神岡町)
 横手盆地の中央やや北部、雄物川右岸の標高23mの沖積地に位置します。国道13号神宮寺バイパス建設に伴い、平成15年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、中世の掘立柱建物跡、井戸跡、土坑等と共に側溝をもつ道路跡が確認されました。出土遺物から見た時期は、中世の鎌倉・室町時代(13~14世紀)です。道路跡は幅員4.5~5.7mで両側に側溝があり、南北方向に延びています。建物群は道路の西側に集中することから、集落の東端に道路が造られていたことになります。道路を南に向かえば約1㎞で雄物川に、川を渡った先には古来より信仰の対象として崇められてきた神宮寺岳が位置しています。本道路は、雄物川舟運や信仰の山へ向かう人々のために建設されたのではないでしょうか。
手取清水(てとりしみず)遺跡(横手市清水町新田字皿川端)
 横手盆地の中央やや南部、雄物川支流である大戸川と皿川に挟まれた、標高42mの低位段丘上に位置します。秋田自動車道建設に伴い、昭和62年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、縄文・弥生・古代・中世・近世各時代の遺構・遺物が見つかりました。中世では主にD区とした調査区から掘立柱建物跡、柱列(塀)、土坑等が発見されました。建物等は出土遺物から13~14世紀を中心とする時期に造られたようです。建物に居住していた主を推定する遺物に「将棋駒」があります。将棋は囲碁と共にルールが難しく、あらゆる階層の人々の遊びではないのです。また、木簡の出土は識字層の存在を、呪符(じゅふ)木簡は呪術的な行為が行われていたことを示します。ですからその主とは、貴族・武士・僧侶のような階層であった可能性が高いと想像されます。
 文献史料では、鎌倉時代の平鹿郡内には、尾張(おわり)(愛知県)を本拠とする松葉氏の一族が、平賀氏を名乗り所領を得ていました。平賀氏は、応永年間(1394~1428年)に所領支配の拠点を安芸(あき)(広島県)に移し、その間隙を突いて小野寺氏が平鹿郡進出を図ったとされます。手取清水の地にいた人物は、出土遺物を考慮すれば平賀氏に関係する一族とも考えることもできます。
観音寺廃寺跡(かんのんじはいじあと)(横手市大森町上溝字観音寺)
 横手盆地の中央西部、雄物川左岸域の標高53mの谷底平野に位置します。ほ場整備事業に伴い、平成11年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、掘立柱建物跡や井戸跡、土坑跡等が発見されました。遺跡の字名、建物配置、出土遺物、「御佛殿前申」と記された木簡と文献史料から、本遺跡は古代末~中世初期(12~13世紀)に寺院関連施設が置かれていたと判断しました。建物を付属する水辺において祭祀が行われていたことも確認できました。また、土坑の一部は便所跡であり、多量の種子類も見つかりました。
 文献史料は、菅江真澄の『雪の出羽路』「観音寺由来(ものがたり)」に、経筒や甕を実見した記述を指します。真澄はこれらの出土品から『日本三代実録』貞観6年(864年)の記事にある「以出羽国観音寺預之上定額」、すなわち出羽国の定額寺(国分寺に準ずる寺)である観音寺とはこの地に建立されていたとするものです。
江原嶋(えばらじま)1遺跡(横手市大雄字東阿気、旧大雄村)
 横手盆地の中央部、雄物川右岸域の標高35mの沖積低地に位置します。ほ場整備事業に伴い、平成10年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、縄文時代と古代、中世の複合遺跡であることが判明しました。古代では竪穴住居跡、掘立柱建物跡、土坑、溝跡、土器溜等が発見され、主として掘立柱建物で構成される9世紀中頃から10世紀前半代の集落跡であることが確認されました。複数の建物は南北方向に整然と並び、その東側にある溝も建物群と同一方向に延びることから塀などの区画施設であったと考えられます。土器溜は、溝の東側に隣接して位置することから、建物内で使用した土器類を塀の外側に捨てた“土器捨て場”のような役割だったのかもしれません。
 遺跡からは、県内では出土例の限られた灰釉陶器(かいゆうとうき)の広口壺、石製の巡方(じゆんぽう)、石製印章(「財」と陽刻)が見つかっています。灰釉陶器は、畿内あるいは東海産の高級陶器、巡方は役人のベルトに付ける飾り石です。その石質はサヌカイト(讃岐(さぬき)石)の可能性が極めて高いものです。これらの遺物は、本集落の性格を考える上で重要な資料になります。
大見内(おおみない)遺跡(横手市雄物川町薄井字大見内)
 横手盆地の中央西部、雄物川右岸の標高43mの低位段丘上に位置します。ほ場整備事業に伴い、平成14・15年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、古代(9~10世紀)の竪穴建物跡、掘立柱建物跡、井戸跡等と共に水田跡が見つかりました。このことから、本遺跡は水田稲作を行っていた集落跡であったことが確認されました。また、集落内には埋没していた河川跡も発見され、なかから「息」と墨書された土器や多くの木製品も出土しました。水田跡は6か所から畦畔(けいはん)が見つかりました。915年の噴火とされる十和田a火山灰降下後に作られた水田跡です。古代の水田跡は、大仙市半在家(はんざ)遺跡でも見つかっていますが、横手盆地内ではこの2遺跡でしか確認できていません。
竹原窯跡(たけわらかまあと)(横手市平鹿町上吉田間内字竹原)
 横手盆地の中央やや南側、雄物川右岸域の中山丘陵西端の西面する斜面に位置します。標高は55~66mです。秋田自動車道建設に伴い、昭和63年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、奈良~平安時代にかけての須恵器(すえき)生産の窯跡が発見されました。奈良時代の窯跡4基、平安時代の窯跡2基です。操業の時期は8世紀中頃~9世紀前半にわたります。須恵器の窯跡は、窖窯(あながま)と呼ばれ、竹原では奈良時代は地下式(斜面をトンネル状に掘る)、平安時代は半地下式(斜面を溝状に掘って粘土等で天井部を積み上げる)でした。その規模は、平安時代の1基で、長さ約12m、幅1.2mありました。
 生産された須恵器は、城柵・官衙(かんが)(役所)や寺院に納められました。遺跡の位置や時期を考慮すれば、竹原産須恵器は、未だに所在が不明な雄勝城(史料上では759年に造営)にも搬入されていたはずです。なお、本窯の須恵器は秋田城にも運ばれていたことを確認しています。
小出(こいで)遺跡(横手市雄物川町薄井字小出)
 横手盆地の中央西部、雄物川右岸の標高40mの微高地(沖積地)に位置します。東側に近接して主に縄文時代中期の遺構・遺物が発見された神谷地遺跡があります。ほ場整備事業に伴い、平成25年に横手市教育委員会が発掘調査を実施しました。
 その結果、古墳時代と中世の複合遺跡であることが判明しました。古墳時代の遺構・遺物は東側の神谷地遺跡にも及び、あわせて竪穴建物跡2棟、掘立柱建物跡3棟が見つかりました。この時期の掘立柱建物跡が発見されたのは県内では初めてで、建物の柱配置から倉庫として利用されていたと想定されます。
 出土した土器は、古墳時代中期とされる5世紀代に属します。県内で発掘調査された古墳時代の遺跡は、小出・神谷地を含め8遺跡しかありません。さらに残り6遺跡のうち横手市内(旧横手市と雄物川町)には4遺跡が存在するのです。土器の観察から、5世紀代に横手の地に入ってきたのは、もともと東北南部(宮城・山形)以南に住んでいた人々だったようです。ところが6世紀になると南から北上してきた人々の痕跡は認められなくなります。
一本木(いっぽんぎ)遺跡(横手市黒川字一本木)
 横手盆地の中央部、雄物川支流である横手川左岸、標高40mの沖積地に位置します。宅地造成に伴い、平成9年に横手市教育委員会が発掘調査を実施しました。
 その結果、古墳時代と古代の土器類が出土しました。古墳時代では、小出・神谷地遺跡とほぼ同時期と見られる土師器、須恵器が見つかりました。
川端山(かわばたやま)Ⅲ遺跡(美郷町金沢東根字川端山)
 横手盆地の中央東側、雄物川支流である丸子川右岸の標高120mの台地上に位置します。遺跡地図作成に伴う詳細分布調査として、平成25年に美郷町教育委員会が試掘調査を実施しました。
 その結果、旧石器時代、縄文時代、弥生時代・続縄文(ぞくじょうもんもん)期、古代の土器・石器類が出土しました。特筆すべきは、弥生時代の土器とともに続縄文土器が発見されたことです。続縄文土器とは、北海道に分布の中心をおくもので、本州の弥生・古墳時代に並行する時期の土器です。縄文から弥生への変化は狩猟採集経済から農耕生産への転換を示すものですが、北海道では縄文時代以来の生業スタイルを継続していることから、“続縄文”の名称が付されています。横手盆地内で続縄文土器が発見されたのは、初めてのことです。
 遺跡の位置は、岩手県西和賀町(旧沢内村)から真昼岳(1,060m)の南側を通り美郷町に至る“善知鳥(うとう)越え”ルートの終点部にあたります。いわば岩手県側から山を下り、西側の盆地が開けた眺望のきく高台に遺跡は位置するのです。続縄文以外にも多くの時代・時期でこの場が利用されていたことは、人とモノの流れと関係しているからだと思われます。
上野(かみの)Ⅱ遺跡(大仙市高関上郷字上野、旧大曲市)
 横手盆地の中央北部、雄物川支流である斉内川と窪堰川に挟まれた標高28mの沖積地に位置します。変電所建設に伴い、平成26年に大仙市教育委員会が発掘調査を実施しました。
 その結果、縄文時代、弥生時代、古代の複合遺跡であることが判明しました。弥生時代では焼土遺構が確認され、屋内あるいは屋外での火気使用が想定されます。出土した弥生土器には、青森県域に分布する土器を模倣したもの、岩手県北上川流域の影響が強いもの、宮城県や山形県を中心に分布する土器に類似するなど、各方面の特徴を示す土器が集められたような状況となっています。
前通(まえどおり)遺跡(横手市杉沢字前通)
 横手盆地の中央やや南側、雄物川支流である杉沢川右岸の標高60mの段丘上に位置します。ほ場整備事業に伴い、平成12年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、縄文時代晩期、古代、中世の複合遺跡であることが判明しました。晩期では段丘の縁辺部に竪穴住居が1軒造られ、その脇に土器や石器類が多量に出土した“捨て場”が見つかりました。捨て場には、土偶、石刀・石剣、岩版など祭祀に関連する土製品、石製品も多く発見されました。
虫内(むしない)Ⅰ遺跡(横手市山内土淵字虫内、旧山内村)
 横手盆地の東側、雄物川支流である横手川左岸の標高105m程の段丘上に位置します。秋田自動車道建設に伴い、平成3~5年にかけて県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、縄文時代晩期の始め頃を中心とする時期の土坑墓241基、土器棺墓136基、配石遺構14基、捨て場などとコンテナ(36㍑入)で3,000箱を越す膨大な量の遺物が出土しました。遺物の多くは“捨て場”から見つかっています。
 本遺跡の西側には虫内Ⅱ遺跡が、東側には虫内Ⅲ遺跡がそれぞれ沢を隔てて並列しており、3遺跡ともに晩期の巨大な墓域であったことが確認されました。しかしながら、墓を作り続けた人々の集落は未だに明確ではありません。 
越上(こしがみ)遺跡(横手市山内黒沢字越上、旧山内村)
 横手盆地の東側、雄物川支流である黒沢川左岸の標高208m程の段丘上に位置します。秋田自動車道建設に伴い、平成3年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、川に面した段丘縁から縄文時代後期中頃の“捨て場”が発見され、ここから多くの土器・石器類が多く出土しました。土器には嘴(くちばし)状の片口のつくもの、口縁部に三角形の突起をもつもの、器形がソロバン玉状を呈するもの、6・7重の四角形がびっしりと描かれているものなど、多種多様な土器が残されていました。
八木(やぎ)遺跡(横手市増田町増田字仁井田堰向)
 横手盆地の南部、雄物川支流である皆瀬川右岸の標高92mの段丘上に位置します。土地改良事業に伴い、昭和63年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、縄文時代中期中頃~後期後半にかけての竪穴住居跡、土坑・土坑墓、配石遺構等と多量の遺物が出土しました。後期には500基を越す土坑墓が造られ、大規模な墓域が存在していました。土坑墓には内部に河原石を詰め込んだことにより穴の空間が極端に狭い土坑も多くありました。このことは、遺骸をそのまま埋葬したのではなく、事前に処理されて骨片を土坑に納めた可能性があります。また、県内では出土例が希な火葬された縄文人骨も見つかっています。縄文時代後期に火葬という遺体処理がなされていたことを示す貴重な例です。
 遺物には、1,300点を超す錘(せきすい)(漁網の重り)があります。このなかで扁平な丸い石に紐を巻き付けた跡がアスファルト痕跡として残る石錘が約250点含まれていました。この状況から、一般に狩猟用の弓矢とされる石鏃(せきぞく)(矢じり)も、ここでは漁労用刺突具であるヤスとして使用されたのかもしれません。 
江原嶋(えばらじま)1遺跡(横手市大雄字東阿気、旧大雄村)
 横手盆地の中央部、雄物川右岸域の標高35mの沖積低地に位置します。ほ場整備事業に伴い、平成10年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、縄文時代と古代、中世の複合遺跡であることが判明しました。縄文時代では主に中期中頃から後期前半の遺構・遺物が確認され、後期では土坑、土器棺墓、焼土遺構、配石遺構などがあります。
 土坑墓のうち1基の底面から三角柱形土製品が出土しました。副葬品として納められたものと考えられます。また、配石遺構には大型の石棒が混じっており、当初は立てられていた可能性もあります。
 出土遺物を通して同時期の八木遺跡と比較してみると、八木では多くの石錘が出土していますが、江原嶋ではごくわずかの量です。このことからも江原嶋では漁労に依存しない生業形態であったことも予想されます。 
神谷地(かみやち)遺跡(横手市雄物川町薄井字神谷地)
 横手盆地中央西部、雄物川右岸の標高40mの沖積地(微高地)に位置します。西側に近接して古墳時代、中世の遺構・遺物が発見された小出遺跡があります。ほ場整備事業に伴い、平成24・25年に横手市教育委員会が発掘調査を実施しました。
 その結果、縄文時代、弥生時代、古墳時代、古代、中世の複合遺跡であることが判明しました。縄文時代中期には70軒を超す竪穴住居が広場を囲んで環状に配置され、晩期には墓域として利用されていました。
 中期の竪穴住居は、出土した土器や炉の形の変化から2~3軒あるいは5~6軒が組となって500年ほどの間、移り変わっていることが推測されました。
 炉は、古い段階では小さな石囲炉ですが、次第に炉自体が大きくなり、次いで石囲部に掘り込み(前提部)が付されるようになります。炉は当初住居の中央にありましたが、前提部が造られる頃から住居の壁寄りに移動します。この後、炉の中に土器が埋め込まれます。そして炉や土器を囲む“石囲”から石を敷き詰める“石組”に変化します。最終段階では土器の埋設は残るものの石組が不明瞭になり、縄文中期の神谷地ムラは途絶えたようです。
内村(うちむら)遺跡(美郷町千屋字内村、旧千畑町)
 横手盆地の中央東部、雄物川支流である丸子川右岸の標高50mの微高地に位置します。ほ場整備事業に伴い、昭和55年に秋田県教育委員会が発掘調査を実施しました。
 その結果、縄文時代と古代の集落跡であることが判明しました。縄文時代では中期の竪穴住居跡31軒などが見つかりました。
 住居は神谷地遺跡と同じように広場を取り囲むようにして造られますが、どこに住居を構えるのか、その基準の一端が推測できます。それは最初に建てられるのは、一辺8mを超す隅丸方形の大型住居です。次いでこの周囲に一辺や径が4~5mの隅丸方形あるいは円形の住居が炉の向きをそろえて造られます。構築の時間差はあるはずでが、いずれも最初の大型住居を壊すことなく配置されます。当時の集落構造を復元する上で貴重な事例です。 
上ノ山(うえのやま)Ⅱ遺跡(大仙市中淀川字千着上ノ山、旧協和町)
 横手盆地の北西部、雄物川支流である淀川左岸の標高50mの段丘面上に位置します。秋田自動車道建設に伴い、昭和61年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、縄文時代前期の大規模な集落跡であることが判明しました。中央に1基の配石遺構をもつ広場を中心として住居が環状に巡りますが、長楕円形の大型住居群が目につきます。見つかった住居跡は64軒ですが、一辺が10mを越す大型住居跡は17軒あります。最大規模の住居跡は長さ24.5m、幅5.3mです。住居群の外側には“捨て場”が形成されます。
 大型住居の役割については、冬期間の共同作業所という説もありますが、未だに明確ではありません。しかしながら、上ノ山Ⅱとは縄文前期の本地域における拠点的な集落であったことは確かだと思われます。 
小田(こだ)Ⅴ遺跡(横手市山内土淵字小田、旧山内村)
 横手盆地の東部、雄物川支流である横手川左岸の標高125~138mの段丘面上に位置します。秋田自動車道建設に伴い、平成5年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、縄文時代前期~晩期と弥生時代の遺構・遺物が発見されました。縄文時代前期では竪穴住居跡4軒、土坑46基が確認できました。1軒の住居跡から出土した土器は、粘土紐を細かな波状にして3段にわたり貼り付けています。また、土坑底面には中央に小穴を、ここから星形に5方向に延びる溝が見られます。これらの穴や溝は土坑内の水分を除去する目的であったと想定され、本土坑の性格を食料の貯蔵穴であったと考えることができます。 
下田(しもだ)遺跡(横手市大森町板井田字下田)
 横手盆地の中央西部、雄物川左岸の標高40~50mの丘陵地に位置します。秋田自動車道建設に伴い、昭和62年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、縄文時代と古代の集落跡であることが判明しました。縄文時代では主に前期と晩期の遺構・遺物が見つかりました。前期は遺跡の東側、晩期は西側に集中していました。展示の土器は、前期に属するもので、遺跡東側の沢部から出土しました。
 なお遺跡は、現在秋田自動車道大森パーキングエリアとなっています。 
弁天森(べんてんもり)遺跡(羽後町床舞字弁天森・後野)
 横手盆地の南西部、雄物川左岸の標高85mの舌状台地先端部に位置します。畑地改良工事に伴い、平成7年に羽後町教育委員会が発掘調査を実施しました。
 その結果、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古代の複合遺跡であることが判明しました。縄文時代では早期の竪穴住居跡1軒と土器・石器が発見されました。竪穴住居跡は径2m程の円形で炉や柱穴はありませんが、規模や形態はこの時期の特徴を示しています。土器の多くには、貝殻(二枚貝)を利用した文様が付けられています。土器の底部は見つかりませんでしたが、先が尖る“尖底土器”であったと想像されます。
 弁天森に住居を構えた早期の縄文人集団は、北側や東側の雄物川が見渡せる眺望のよい場所を選びましたが、住居の規模や出土遺物量を見れば、ここに長く住み続けることなく、次なる場に移動していったのでしょう。 
岩瀬(いわせ)遺跡(横手市山内土淵字岩瀬、旧山内村)
 横手盆地の東側、雄物川支流である横手川右岸縁の標高103mの段丘上に位置します。秋田自動車道建設に伴い、平成3・5年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、主に縄文時代の草創期から早期、前期、中期にかけての遺跡であったことが判明しました。草創期では、少なくとも6時期にわたり、石器製作跡が存在していたことを確認できました。それは河原において石器の素材となる硬質頁岩(けつがん)が入手し易い環境にあったことが最大の要因と考えられます。また、石器製作跡に隣接する集石炉は何らかの調理施設と見られ、生み出された石器を用いて、食物の獲得や調理に利用していたことも想定されます。これは遺跡が川に近接し、サケやアユなどの食料資源が豊富であったこととも関連していたに違いありません。出土した石器のうち石匙(いしさじ)は、携帯用のナイフですが、岩瀬遺跡のものは国内では最も古い資料にあたります。
 石器製作跡は、続く早期、前期にも積極的に利用されていたことが確認できました。 
潟前(かたまえ)遺跡(仙北市田沢湖田沢字潟前、旧田沢湖町)
 横手盆地の北端、田沢湖の北東岸の標高257mの田沢湖山地に位置します。県営オートキャンプ場建設に伴い、平成8年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、旧石器時代と縄文時代の複合遺跡であることが判明しました。縄文時代では前期の集落跡、後期では環状配石遺構が見つかり、祭祀場として利用されていたことが確かめられました。
 旧石器時代では、東西約13m、南北8mの範囲内に石器・剥片(はくへん)が計109点まとまって出土しました。石材は全て頁岩(けつがん)でした。田沢湖を臨む高台で旧石器人が石器製作を行っていた場であったと見ることができます。なお、田沢湖周辺では近年、黒曜石(こくようせき)の原石が産出することが判りました。旧石器~縄文時代において田沢湖産の黒曜石の石器が盆地内に流通していた可能性もあります。
 遺跡の一部は現在、田沢湖オートキャンプ場「縄文の森たざわこ」として利用されていますが、遺跡中心部は盛土による保存がなされています。 
小出(こいで)Ⅰ遺跡(大仙市南外字小出、旧南外村)
 横手盆地の北西側、雄物川支流の楢岡川右岸の標高65mの舌状台地(段丘)の基部に位置します。秋田自動車道建設に伴い、昭和62・63年に県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。
 その結果、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古代、中世の複合遺跡であることが判明しました。旧石器時代では、2つの地点(AB区、C区)から3,700点あまりの石器類が出土しました。AB区ではナイフ形石器や台形様石器と呼ばれる石器が発見されました。ナイフ形石器はモノを切ったり刺したりするもの、台形様石器は何点か並べて柄に装着して使用された可能性があります。C区では槍先形尖頭器が確認できました。これは柄の先端に取り付け、槍として使用していたと想定できます。
 これら石器群の特徴から、AB区は、日本における旧石器時代の始まりの頃 (約30,000年前)、C区は終わりの頃(約16,000年前)の時期となります。1万年以上の時間を経てほぼ同じような場所を選んだ旧石器時代の人々、それは単なる偶然ではなく、この地である必要性が2つの時期で同じであったと考えられます。 




埋蔵文化財センター中央調査班の展示室を公開しました!
(平成27年3月10日現在)

「北秋田市藤株(ふじかぶ)遺跡」の出土品を展示公開中!

~藤株遺跡は縄文時代(早期・前期・中期・後期・晩期)が中心の遺跡です。~

出土遺物等の整理作業等も見学可能ですので、希望日時
中央調査班(電話018-893-3901)までお問い合わせください。

開館時間:午前9時半~午後4時
休館日:土日・祝祭日・年末年始(12/28~1/3)

埋蔵文化財センター中央調査班(秋田市栗田町)→アクセス

中央調査班展示室の様子~北秋田市藤株(ふじかぶ)遺跡~
縄文時代早期~前期の土器(藤株遺跡) 縄文時代後期の土器(藤株遺跡)
縄文時代~弥生時代~平安時代(藤株遺跡) 石鏃・尖頭器・石錘(藤株遺跡)
石斧・スクレイパー・石皿・磨石・敲石(藤株遺跡) 石核の接合資料・トランシェ様石器(藤株遺跡)
土偶・土製品・石製品(藤株遺跡) 藤株遺跡遺構配置図・ジオラマ



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