▲ 後藤宙外の発掘調査
 払田柵跡研究史年表(発見から事務所設立まで)

主な出来事
1902

1903
秋〜春    千屋村(現美郷町)本堂城回字森崎で柵木(200本ばかり)発掘
1906      柵跡の東部、坂本理一郎所有の水田より約30本の角材発掘
 (『史跡精査報告第三』より引用)
1907      後藤宙外 森の東で掘った杉の埋もれ木「最上四」を坂本東嶽翁宅で見る
 (『平安朝初期の古柵址と決定する迄』より引用)
1928    『高梨村郷土沿革記』の編纂依頼される(柵の研究)
1929 11  岩手県史跡調査員 小田島禄郎氏を案内
 (『平安朝初期の古柵址と決定する迄』より引用)
12 15  柵列の図の草稿終了
 (『平安朝初期の古柵址と決定する迄』より引用)
1930  
 払田柵址約五千分の一略図作成
十数通複製して東北地方の遺跡研究者に送る
 (『史跡精査報告第三』より引用)
28,29  高梨村主催で発掘調査、早坂地区を堀り角材列を実検・撮影、長森北方水田発掘、三重柵と命名、さらに西側で丸太材発掘、門の四本柱の一つと認めたと伝えられる
 調査参加者 後藤宙外、払田池田家支配人 藤井東一、秋田考古会員 小西宗吉、岩手県史跡調査員 管野義之助、秋田県史跡調査員 細谷則理、同 高橋鉄之助、秋南新聞主筆 大山宏
 (『秋田考古会会誌より引用』)
14  後藤宙外、現地調査、武藤鉄城・荒川正 現地視察
   高梨村払田柵址略図修正
18〜22  後藤宙外、秋田魁新報に「平安朝初期の古柵址と決定する迄高梨村払田の史跡発掘記」を発表
25  東北帝国大学教授 喜田貞吉博士、学生 室谷精四郎、大山宏、深沢多市、細谷則理 現地調査 宙外案内
26  管野氏3月調査の写真を文部省に携帯
 (『史跡精査報告第三』より引用)
25  秋田県学務部長 松岡四朗、学務課長 熊谷美登利、視学 高橋熊五郎、深沢多市、武藤一郎 視察、保存方法について打ち合わせす
 (『秋田考古会会誌より引用』)
 後藤宙外案内、文部省に調査員の派遣申請することになる
15  文部省宗教局国宝保存会委員、文学博士 荻野仲三郎、文部省嘱託 上田三平、深沢多市、大山順造 視察
中旬  清水の脇の水田から杉沢留吉「懺悔」の墨書土器採取
 (『秋田考古会会誌より引用』)
21  東北帝国大学教授 大類伸博士、同学生 室谷精四郎・伊東信雄 視察
藤井東一 案内
13  秋田考古会総会払田で開催
 角館史考会員 吉成直太郎、太田藤三、武藤鉄城 視察
25  文部省宗教局長 西山政猪等 視察
 藤井東一が清水にて木簡発見(2号木簡)
23  東京美術学校教授 小場恒吉 視察
29  秋田県知事 稗方弘毅等 視察
10  文部大臣 田中隆三等 視察
20  文部省嘱託 上田三平 午前10時46分到着、午後調査開始、外郭南門発見、長森北の三重柵発掘
21  三班にわかれて発掘する。
外郭南門、本堂道路カーブから東西へ、三重柵を発掘
22  外郭東門発掘、三重柵の倒木等の発掘、外郭西門を発掘
23  外郭北門等発掘
24  発掘地点の写真撮影、後藤宙外の論文「払田柵址は河辺府の遺跡」が秋田魁新報に連載始まる
25  発掘地点の写真撮影
26  周囲の調査、菅原又三 子供が石帯もってくる
27  測量・写真撮影
28  ホイド清水の周辺調査
29  秋田師範学校専攻科39名 視察、上田先生講演
30  一ツ森を踏査、薬師の本尊及び不動尊を見る。
文部省の発掘調査終わる
31  上田三平、秋田県立秋田図書館にて講演(秋田史談会主催)
12 30  『秋田考古会会誌第二巻第四号・払田柵址号』
  巻頭言 会長    和田喜八郎
  払田柵に就いて二三の考察      喜田貞吉
  貴重な発見、唯一の遺跡       藤原非想
  払田柵址は河邊府の遺跡       後藤宙外
  払田古柵用材の伐採及運搬に就て   増村卯助
  平安朝初期の古柵址と決定する迄   後藤宙外
  払田柵の古さ            室谷精四郎
  払田古柵を地理上より見て      柴田熊蔵
  払田古柵につき一考察        伊藤政治
  払田柵               藤井東一
    彙報
    上田三平氏の講演大要
    払田柵址日記
    払田柵址に於ける本会総会
1931 30  国指定史跡となる
 高梨村史蹟保存会設立
22  澄宮崇仁親王(三笠宮)殿下御視察
1932    高梨村(現大仙市)、管理団体に指定さる。
10  後藤宙外、『文芸春秋』特別号に「払田柵址は何か」 発表
11    上田三平、『文芸春秋』に「払田柵址は何かを読む」 発表
12 15,19  後藤宙外、「払田柵址出土の木簡の墨書上、下」(仙北新報)
1934  後藤宙外 「払田柵址は河邊府の遺跡」 『秋田郷土叢話』
16  東伏見宮周子殿下御視察
1938 31  上田三平、「払田柵址、城輪柵址」 『史跡精査報告第三』
1940 15  後藤寅之助、「払田柵址検討の梗概」 『高梨村郷土沿革記』
1958 10    滝川政次郎、「短冊考−払田柵址出土の木札について」
 『古代学』 7−2
1963 10 30  高橋富雄、『蝦夷』
12    柿崎隆興、『高橋富雄氏の払田柵(雄勝城)説に疑問』
1972 4,5    新野直吉、「払田柵址の現状と柵に関わる若干の考察」
 『古代文化』 24−4、24−7
1973    新野直吉、「払田柵跡から新出土の木簡」 『秋大史学』 20
   高橋富雄、「払田柵と雄勝城」 『日本歴史』 302
 柿崎隆興、「螳瑯の斧」 『出羽路』 52
1974  秋田県払田柵跡調査事務所設置、調査開始

★ 外郭・内郭の呼称は当時の呼称による


▲ 『高梨村郷土沿革記』
▲ 最上四の刻書

▲ 懺悔の墨書のある土器

▲ 藤井東一作製の
記念スタンプ

▲ 上田三平による調査

▲ 秋田考古会々誌

▲ 藤井東一作製の
記念スタンプ

▲ 澄宮崇仁親王(三笠宮)
殿下と後藤宙外

▲ 東伏見宮周子殿下と後藤宙外

▲ 外郭(現 外柵)北門と角材列

▲ 第6回古代城柵官衙遺跡検討会

▲ 政庁跡を御覧になる常陸宮殿下・同妃殿下

▲ 政庁跡と桜

▲ 大路と橋を望む